「聖書を通して語られる神とは」
1)神が存在することは、神がご自身を啓示なさったという点から明白である。神は人格を持ち、全能であり、きよく、かつ憐れみに富んだお方である。
もし、神がそのようなお方であるならば、ご自分が造られた被造物に対して、愛に満ちた思いやりを持ち、彼らを助けに来てくださるであろうことが期待できる。
神は地球に鉱物や燃料を蓄えておいてくださる。神は大気を備え、その中で人間が生存できるようにしてくださった。
しかし、人間は霊的、永遠的必要を持っている。人間は罪の問題を持っている。
しかし、人間はどのようにして神と正しい関係に入れるかを探しているが、示してくれるものはない。
人間は、また霊魂不滅であることを感じるが、いかにして永遠の時のために備えることができるか思い惑っている。
もし、神が人間の必要を知っておられるなら、ご自身の姿と救いの道を人に確実な方法で知らせてくださるであろう。
それが、聖書である。
2)聖書はまさに神の霊感を受けた書物であることに気づく。
「神の啓示の具現としての聖書」
聖書はその内容に於いて他のいかなる宗教的著作にまさっている。
聖書はすべての罪を非難しながら、しかも罪人にどのようにして神にたち返ることができるかを教えています」
【聖書の統一性について】
①40人以上の筆者、1600年間にわたる66巻の書物にもかかわらず、一巻書物としての統一性。
②一つの教義、ひとりの神、一つの道徳基準、一つの救いの計画、一つの歴史観、一つの世界観。
③聖書自体が「聖書は神の言葉である」と主張している。
④旧約聖書は「主はこう言われる」「…主の言葉」など3800回以上。
新約聖書では、「神の御旨を余すところなくあなた方に伝え…」「神の言葉として…」と表現する。
⑤ある書物が他の書物を絶対の権威を持って語る(ヨシュア1:7-8、エズラ3:2、マラキ4:4、使徒1:16、第一ペテロ1:10-11)。
パウロは旧約聖書全体が「神の霊感による」と言明(第2テモテ3:16)。ペテロも「神によって語られたもの」(第2ペテロ1:20-21)
⑥霊感についてのイエスの言及(ヨハネ10:34-35、ルカ24:44、マタイ5:17-18、ルカ16:17)。律法の言語霊感。
⑦イエスは聖霊が聖書を教え、真理に至らせると教えた(ヨハネ14:26、16:12-13)
⑧使徒達はこの約束の聖霊を受けた(使徒2:4)。
⑨新約聖書の霊感(第1コリント2:13、黙示録21:5他)
1.「ペンテコステのペテロの説教からケリュグマについて」使徒2:14-36
ケリュグマ(証と宣教)に対して、民衆は悔い改めとバプテスマを持って応答した。
→その結果
a. コイノニア(礼拝と交わり)
b. ディアコニア(奇跡と奉仕)
c. エクレシア(教会)が生まれた。
ペテロの説教は原始教会のふるき信仰(ケリュグマ)を伝える。
①十字架上で刑死したイエスはよみがえった。この事実性にキリスト教は基礎を置いている。
②この事実は偶然な出来事ではなく、旧約聖書の預言の成就である。
③この事実に触れた者は、その人生態度を根本的に改めなければならない。(新生の恵み)
2.人間の三分性についての考察
霊と心とからだを全く清めてくださるとは
3.「心を尽くして」の信仰生活における意味
詩篇119:1-8
申命記4:29-31、10:12-13、30:10
マタイ22:35-40
2015年9月17日
1.詩篇1.15.112
2.「私たちの味方とは」マルコ9:38-50
3.「イエスの涙」ルカ19:41-48