「私たちは皆、顔覆いなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(第二コリント3:18)
今日の教会における神学論争の1つは「聖霊論」であります。聖書の霊感説、聖霊の賜物、聖霊による教会の働き、聖霊による世界宣教、聖霊による予言と啓示など、それぞれが大変大きな重いテーマで語られています。
それは教会を分裂させたり、伝道の働きを挫折させたり、信仰を行き詰まらせたりすることさえあります。
上記のパウロの言葉は、聖霊の働きが主イエス・キリストの働きと1つとなって私たちを神の姿に変貌させ、神の国の住人としての装いを完成させてくださると理解することができます。
聖書協会共同訳では「これは主の霊の働きによるのです。」と訳しています。口語訳とはニュアンスが違いますが考えさせられるテーマです。
今回は一般的聖霊論ではなく、三位一体の神であり、人格的存在であるご聖霊が、どのように私たちに働きかけておられるのかということについて思いめぐらしたいと願っています。
*バイブルアカデミー第1期(2015年より)は来月7月18日で終了式といたします。皆様とも相談しつつ、より整った形で2020年4月に第二期開講いたします。
1)「聖霊」とは何なのか?聖書は何と言っているのか?私たちはどのようにそれを感じ、体験してるのか?
旧約の時代の人たちは聖霊をどのように感じ受け止めたのか?
「息」とか「風」と訳されているルーアハは現在の私たちの信仰にどのような風を送っているのか?
2)新約聖書における聖霊
「新約聖書を書いた人たちと、それを受け取った人たちにとって、御霊は教理ではなく体験であった」。
(J.デニー)新約時代の教会は、その活動を開始するに先立って、聖霊が臨むのを待たなければならなかった(使徒1:4、5)。
パウロが長老を選ぶ場合にも聖霊ご自身が臨まれた(使徒20:18)。
聖霊は教会の命そのものであった。
教会は人種や思想を超えすべての国民を包容する世界的共同体へと発展していったが、その重要な段階における決断は聖霊の導きによるものであった(使徒8:29)(10:19、20)(13:2.4)(15:28)(16:6.7)。
そして、教会の指導者たちは聖霊に満たされた器たちであった(6:3.5)(11:24)。
聖霊降臨は使徒たちを全く新しい器に作り変えた(2:22〜36、3:11〜15)。
また聖霊は迫害の中で教会を支え、教会の一致を保ち、教会の清さを維持した。
3)ヨハネ福音書による聖霊
特にイエス・キリストの最後の晩餐における説教において、聖霊は「助け主」(パラクレートス)として紹介されている(14:16、26.15:26、16:7)。
またイエスは、「真理の御霊」とも語っている(14:17、16:13)。
☆共観福音書における聖霊の表現も当然見守らなければならない。
4)パウロの聖霊理解
キリスト者の聖化の原動力としての聖霊の働きを私たちは今日見過ごしてはならない。
「主と同じ姿に化せられていく」と言う究極的な目標に向かって私たちは導かれていくのである。
「キリストの形になるまで」(ガラテヤ4:19)とのパウロの祈りに心を和して。
5)感謝聖餐式