テーマ「神と人の前に公正で」
聖書 第二 コリント8章16〜24節
「私たちは、主の御前ばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである」(Ⅱコリント8:21)
伝道者パウロは、困窮しているエルサレム教会を支援するために幅広く募金を集めました。そして今コリント教会にも募金のすすめをしています。その任務を託されたのは、忠実な信徒であり、同労者であるテトスでした。彼はギリシア人でしたが、信仰にも、伝道にも、またパウロ先生を助ける友情にも、さらにエルサレム教会のための支援の熱心においても信頼のできる優れた人物でした。まさに異邦人でしたが聖霊に満たされた器であると言えるでしょう。
ここでパウロは諸教会から選ばれた2人を彼に同行させているのです。この2人の人も「キリストの栄光」とまで言われる信頼される人々でした。なぜなら、支援募金という尊い仕事であっても、テトスという誰からも信頼された人物であっても、多額の現金を扱うことを1人ではなく3人でするように手配したのです。それが「気配り」でした。別の訳には「心がけ」と書いてあります。それはどんな良いことであっても、それに反対する人々や批判的な人々がいることを知っていたからです。
聖書は私たちに神と交わりを回復する救いの道とともに、救われた人々の社会(教会)の交わりのあり方について教えています。パウロの手紙をざっと読んだときには、その中から真理を見いだすことができないような部分であっても、神の言葉はその行間に隠れている宝石のようなものです。
この言葉は旧約聖書箴言3:3、4からの引用と言われています。「いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。そうすれば、あなたは神と人との前に恵と、誉とを得る。」それは愛と義と言うことができるでしょう。
どんなに良いことであっても、神に対する献身であっても、そのわざが人々の目に触れて攻撃を受けることがないようにしなければならない。「私たちの戦いは天上に座する悪の霊との戦いである」(エペソ6:12)と言っていますが、金銭に関する事は、一般社会と同様に教会においても気配りが必要です。パウロの伝道において、しばしば良い事をあげつらって攻撃する悪魔の手先とも思える指導者たちに出会ったからです。ですから神と人との前に公明正大である事はクリスチャンの常識であります。優れた伝道の働きが権力と金銭との問題で破綻した例を多く知っています。
聖書の言葉は、さりげなく書いてありますが、実務的な働きをするときに「ハッ」と気づく重要な御言葉になることがあります。それは聖霊の働きです。ですからパウロはローマ人への手紙12章で、教会の中に様々な賜物が与えられている。捧げるものは惜しみなく捧げ、慈善をなすものは快く慈善をなすように、そしてするものもそれを見るものも偽りのない愛を持って受け入れるように勧めています。
「愛には偽りがあってはならない」(ローマ12:9)
今週も神様の恵みが豊かにありますようにお祈りしております。
小田 彰