12月12日「同じ足並み」 第二 コリント 12章14〜21節
アドベント第三主日を迎えました。
東方の博士たちがエルサレムに来て尋ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか?」(マタイ2: 2)
これは今日まで人類が深い呻めきをもって求めてきた問いです。
「救い主はどこにいますか?」と言う質問です。人類は救い主を求め続けてきました。様々な新興宗教は私たちに救い主らしきものを示しましたが、そのお方を見せてはくれませんでした。
人間の探究するいかなる科学技術にも勝って救い主がどこにいるかという研究は最も大事なことなのです。
伝道者パウロはその方に会いました。そして全く人生が作り変えられました。そのお方「イエス・キリスト」を教会の中に植え付けるべく戦いました。コリント教会の中に偽物のキリストが侵入することに対して徹底的に戦いました。それは純粋なイエス・キリスト信仰以外の救いの道がないことを知っていたからです。
「私たちは、皆同じ心で歩いたではないか。同じ足並みで歩いたではないか。」(12: 18)
キリストを信じ受け入れて生まれ変わった人たちが作った初々しい教会の中に、古い伝統や形式を持ち込む人々がありました。彼はかつては同じ心、同じ霊で歩いたではないか。価値観も、目的も同じではなかったか。それがどうして異質のものになってしまったのか?
この問いかけは今日も私たちにとって大切な言葉だと思います。
信仰の初心に於いて純粋に信じ従っていた人が、年を重ね教会生活に慣れてしまったときに世俗の価値観や目的が入り込んできて、その純粋な群れを汚してしまうということがあるからです。
今日も私たちの生活や、教会の中にキリストがおられるか、鋭い感性を持って洞察しなければなりません。キリスト教的な活動の中にはキリストはおられないからです。
東方の博士たちが「救い主はどこにおられますか」と尋ねた言葉は、すべてのクリスチャンの心と働きに対する聴診器のようなものですね。
言葉を変えて言えば、「本物の信仰によって行動していますか」という質問です。
パウロはローマ人への手紙でこう語っています。「見よ私はシオンに、躓きの石、妨げの岩をおく。それにより頼むものは、失望に終わることがない」(ローマ9: 33)。本物のイエスキリストは、多くの場合、クリスチャンたちの中に於いてさえも、躓きの石、妨げの岩なのです。
しかしこのお方により頼むときのみ、「辱められることのない、失望することのない」生き方があるのです。
飼い葉おけの中に生まれ、十字架上で死なれ、三日目に復活されたイエス・キリストこそ、失望させられることのないお方なのです。ですからメリークリスマス。クリスマスおめでとうと言い得るのです。
恵み溢れる一週間となりますようにお祈りいたします。
小田 彰