テーマ「弱い者を助け」
聖書 詩篇 35:1〜28
詩篇35篇は呪いの詩篇とも言われます。
詩篇の中にはこのほかに52、58、59、69、109、137篇があります。
ダビデが仕えていたサウル王の迫害を受けて、身に覚えのない罪のために殺されようとした時、ひたすら神に祈った祈りであるということがわかっています。
サムエル記上24: 9-15、羊の檻と言われる所にあった洞穴の中に隠れていたダビデの同じほら穴に、命を狙うサウル王が入ってきて休んでしまったのです。
ぜひその物語をお読みください。
眠っている間に王様の上着の裾を切って、翌朝出発の時に王の前にひれ伏しその布を示して「私はあなたを殺すことができましたがしませんでした」と自分の潔白を告白したのです。BC1061年。
サウルをそそのかしたダビデの競争相手たちがいたに違いありません。
彼らは目配せしサウル王をそそのかして彼を殺そうとしたのです。
ですからこの28節に及ぶ長編の詩篇を読むとダビデの気持ちがよくわかります。
「主よ、私と争うものと争い、私と戦う者と戦ってください。…私に向かって悪を企むものを退け、慌てふためかせてください。…」。(35: 1.4)
「ゆえなく、私を憎む者どもの互いに目配せすることを許さないでください。」(35: 19)
この言葉はイエスキリストが最後の晩餐で説教の中で用いられました。(ヨハネ15: 25)
その意味ではイエスキリストの受難のお気持ちを表しているともいえます。
しかしイエス様はムチ打たれ、唾きをかけられ、罵られた時にも口を開かず、沈黙してそれを受けていました。
まさに無抵抗だったのです。
さてクリスチャンとして呪いの祈りを捧げて良いのかという問いがここにあります。ダビデの時代には人間的なありのままの感情表現や行動を神様は許しておられましたが、イエス・キリストが十字架に掛かられ新しい時代が始まってからは、敵対する者のために祈ることがクリスチャンの姿と変わりました。そして神の子供として主の再臨を迎えるようにとご計画くださったのです。
そこで伝道者パウロは私たちの生き方について語っています。
「誰に対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」。(ローマ12: 7、19)
「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12: 21)
現実問題として皆様一人ひとりの生活にも様々な問題があり、敵対する悪魔の業があるでしょう。
すべての事について自分で解決しようとしないで神に祈り求めましょう。神はそれを取り扱い最善に導いてくださいます。
それが信仰です。
それがキリスト者の歩みです。
祝福がありますようにお祈りしています。
小田 彰