2022.1.30

「信望愛主」

テーマ「おとずれの日に」

聖書 第一 ペテロ 2章11〜17

 

コロナオミクロン株感染拡大の中、しかし私たちの信仰は弱ることなく、私たちの愛するイエス・キリストの血潮は濁る事はありません。そして聖書の言葉は聖霊の霊感を受けて日々新しく輝いています。この輝きの中に、歩まれますようにお祈りしています。

 

ペテロ第一の手紙はすでに殉教したパウロの伝道地である小アジアの諸教会を励ますためにペテロによって書かれたと思われます。

信仰を持って生きようとする人たちに、異教の人たちはつらく当たりました。権力者たちは迫害しました。その中でクリスチャンたちはどのように生きるべきかについてペテロは指針を示しています。かつては短気で自己中心的であったペテロが、今監督として円熟したアドバイスをしています。

 

さてここから「聖書は人間関係についてどのように教えているか」というテーマで学んでみましょう。

 

①人生は旅人、寄留者であって、どんなときにも他人によくしてあげなさい。(ヘブル11:13-16、詩篇39:12)

「あなた方は、この世の旅人であり寄留者であるから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。異邦人の中にあって立派な行いをしなさい。」(2:11、12)

その結果はじめは批判的であったとしても、「かえって、おとずれの日に神を崇めるようになろう」(2:12)。おとずれの日について、イエスは終末の時として用いています。(ルカ19:43、44)

 

②「あなた方は、すべての人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい」(2:13)。クリスチャンにとって喜ばしくない社会制度というものがあっても、まずそれに従いなさい。第一ペテロの中には「従え」と言う言葉が22回も使われています。

「自由人にふさわしく行動しなさい」(2:16)。 罪から解放されたという意味においては自由人でありますが、社会の制度の中では身勝手に生活することができません。それが「神の僕にふさわしく行動しなさい」(2:16)に表れています。

かつてパウロは「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12:21)と教えました。

 

さてクリスチャンはどんなにいじめられても人に良くし、社会制度が間違っていてもそれに従えと言われているようです。誤っていることに対しては神に祈れ。神が必ず解決してくださるという信仰ですね。これを受け入れて実践するのには大きな信仰と大きな祈りが必要です。しかしそれがイエス・キリストが歩まれた道であります。その通りに生きた人々の証によって、今日のキリスト教会は形作られてきました。

 

あなたが逆境の中にあったとしても、神はあなたを見ておられる。そしてあなたの祈りと願いを聞いておられると信じましょう。

マザーテレサがこう言いました「神様は誰かに大切なメッセージを伝えようとする時、別の誰かを道具として遣わされます。あなたはその神の道具なのです」

しばしば不条理と思われる状況の中に立たされることがあります。しかし私たちは神の愛の言葉の道具として派遣されているのだという意識を持つことができたら幸いです。

 

この高い水準のクリスチャンの生き方を受け入れ、身に付け、その役割を果たす道具となることができますようにお祈りいたします。

小田 彰