「信望愛主」
テーマ「信仰の導き手イエス」
聖書 へブル 12章1〜3節、マタイ 1章18〜25節
これまで旧約聖書の信仰の勇者たちの記録を見て参りました。しかし真の導き手であり模範であるお方、すなわちイエス・キリストを示すためにこの手紙は書かれました。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎつつ、走ろうではないか。彼は自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の右に座するに至ったのである。」(ヘブル12:2)
今日はアドベント第1主日です。クリスマス礼拝まで4週間、イエス・キリストを思い、また待ち望む期間です。
ベツレヘムの飼い葉桶の中にお生まれになった赤ちゃんは、実は十字架上で私たちの罪の身代わりとして死ぬという大きな使命を持っておられました。ですからクリスマスを思うという事は十字架を思うという事でもあります。
「あなた方は弱り果てて意気阻喪をしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだ方のことを、思い見るべきである」(12:3)
私たちはしばしば弱り果てて失望し、自らの弱さに落胆するものです。初代教会の迫害の中にあるクリスチャンたちは、信仰は正当であったとしても、あまりにも激しい迫害によって失望し、気力を失ったのでしょう。ある意味において今日の世界の現状を見るとき、私たちも失望落胆し気力を失うことがあるのではないでしょうか。
聖書は私たちに十字架を忍んだイエス・キリストを見ることによって、失望や落胆から脱出し、信仰と気力によって強く前進することができると助言しているように見えます。新改訳聖書では「イエスから目を離さないで」と書かれています。十字架を忍ばれたイエス・キリストを見上げることが私たちの力の源泉なのです。昨日紀尾井ホールでメサイヤア公演をいたしました。まさにヘンデルにとっても、どんなに才能があり、有力な人脈によってロンドンの音楽界の頂点に立った人も、失望落胆していたのです。イエス・キリストの生涯を歌うメサイアを書くことによって、彼の人生が変わり、新しい意欲とビジョンが与えられ、その結果ドイツ人でありながら、英国の宝とも言われる大音楽家として一生を全うしました。
「キリスト者である事は光栄であり、人類に与えられる最も尊い特権である」とヘンリー・ハーレーは書き残しました。私もそのように思い信じます。
このアドベントシーズンはイエスから目を離さないで過ごしましょう。神の力強い支えがあなたの上に与えられますようにお祈りいたします。
小田 彰