2022.11.6

「信望愛主」

テーマ「信仰により勇者になり」

聖書 へブル 11章32〜34節、士師記 6章11〜18節

 

私たちは、ヨシュア記に続き士師記に入りました。

モーセの後継者ヨシュアが死んだのち、イスラエルがまだ王国となる前の不安定な300年を迎えます。強いリーダーもなく、本格的な信仰の指導者もいませんでした。まだユダヤ教も確立していなかったのです。今日のイスラエルに定住したとは言え、約200万人もの人々が土地を耕し、羊を飼い、生活を営んでいましたが、まだ弱小民族でした。周辺国家のミデアン人、アマレク人、アラビア人などに絶えず攻撃を受けていたのです。

国が危機を迎えるたびに神は士師judgesと言われるリーダーを選び、特別な力を与えて逆境を乗り越えさせたのです。

士師は、オテニエル、エフデ、デボラ、ギデオン、エフタ、サムソンなどですが、皆弱さや欠点を持ちながら、神に用いられ国を守りました。

 

今日の主人公はギデオンです。彼の名前は「伐採者」と言う意味ですが、敵を蹴散らす本当の力は持っていませんでした。神に用いられて勇者となったのです。

主は振り向いて彼に言われた、「あなたはこのあなたの力を持って行って、ミデアン人の手からイスラエルを救出しなさい。私があなたを遣わすのではありませんか」。(士師記6: 14)

 

主はギデオンを選びました。しかし、

①彼は臆病者でした。ミデアンの敵が攻めてくるのを恐れて酒船の中で麦を打っていたのです。「私は父の家族の家で最も小さいものです」(士師記6: 15)と逃げ回っていたのです。

 

②彼は神が共にいてくださる印を繰り返し求めました。食べ物を岩の上に置いて神の炎によって焼き尽くしていただきました。(士師記6:21)

夜のうちに野原に羊の毛皮を置いて、その上にだけ露が降りて、草が乾いているようにと要求しました。神はその要求に応えてくださいました。(士師記6:38)何度も繰り返して、神が共にいてくださることを確認しようとしました。

☆しかしこれはある意味で今日の私たちの祈りではないでしょうか。祈りの中に御言葉が与えられ、自分の歩むべき道が見えてくるまで、確信が持てないと言うのはむしろ健全な信仰者の姿です。

 

③そして神の言葉に従ったのです。ここにギデオンの素晴らしさがあります。神様が共にいてくださるという確信を握ったら、恐ろしい戦いであっても大胆に進んでいったのです。 

 

彼の招きに応じた人々は32,000人いました。神は多すぎると言って「恐れる者は去れ」と言った時22,000人が去りました。神は10,000人でも多すぎると言って川のほとりで水を飲ませ、右手で剣を持ち左手ですくいのみをした300人のみを選んだと書かれています。(士師記7:7)

 

もはや常識を超えていました。どうせ無力なのだから、すべて神の御言葉に従おうと言う大胆な信仰が湧いてきたのです。結果的に十数万人と言う敵を倒すことになります。

 

○この物語から私たちは、信仰とは「従うこと」だと言うことを知らされます。

しばしば神の導き(召命)を受ける時、自分の願望とは反対の方向に導かれることが多く、葛藤を覚えるものです。それは信仰のテストです。

○そして神はしばしば弱い人を選びます。しかしその人は祈りの人です。神と対話することができる人なのです。

 

確信がなければ確信がないと言えば良いのです。できなければできないと言えば良いのです。神は確信を与え、また力を与えてくださいます。そして不可能を可能にしてくださるのです。それは自分の願望の達成のためではなく、神の御心の実現のためなのです。

 

この信仰の「奥義」を体得した人は幸いです。

「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだのである。そして、あなた方を立てた。それはあなた方が行って実を結び、その実がいつまでも残るためであり、またあなた方が私の名よって父に求めるものは何でも、父が与えてくださるためである」。(ヨハネ15: 16)

 

短歌を1句。

我ひとり

道を行かむと思う時

共におられる

主にぞ驚く

 

今週の歩みが勝利の日々でありますようにお祈りいたします。

小田 彰