2022.12.18

「信望愛主」

テーマ「新しい契約の仲保者」

聖書 へブル 9章11〜23節、マタイ2章1〜12節

 

 「そして家に入って、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬などの贈り物を捧げた」(マタイ2: 11)
 この記事は東方の博士たちがベツレヘムを訪ねイエスを礼拝した記録です。ペルシャのシッパルの天文台あたりから来たと思われる、極めて位の高い訪問者でした。直線距離で2000キロ、多分3000キロ以上の何ヶ月にもわたる旅をして幼な子の誕生を祝いに来たのです。なぜこのような捧げ物をしたのか?それはみ子イエス・キリストが王の王、主の主となるべきお方であったからですが、この王に服従し仕える契約のしるしであったのです。

 さて前回大祭司なる神の子イエス・キリストについてお話ししましたが、第9章においては「祝福の大祭司」と書かれています。このお方は私たちに救いをもたらし、永遠の命をもたらす大祭司です。
 モーセ以来の旧約聖書時代の大祭司は、定められた幕屋において動物の血を注いで民の罪を清めあがなう儀式をします。しかしそれによってイスラエル民族は心から清められ、神に栄光を帰する働きはできませんでした。むしろ偶像礼拝に走り、罪を犯し、神の民と呼ばれるにはふさわしくない存在でした。古い契約が破綻していたのです。

 イエス・キリストはご自身の血を注いで人類の罪の贖いの業をなさいました。天幕という形式をとることなく、動物の血を注ぐことなく、毎年のように儀礼的な行為をすることなく、ただいちど十字架上で血潮を流して人類の贖いをなさいました。それを新しい契約と言っています。神と人との和解のために血潮を流すお方を「新しい契約の仲保者」と聖書は語っています。

「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神に捧げられたキリストの血は、なおさら、私たちの良心を清めて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」(ヘブル9: 14)

 このような尊いお方が誕生されたのです。ですから東方の博士たちは黄金、乳香、没薬を捧げたのです。イエス・キリストによらなければ、私たちは罪赦されることなく、永遠の命をいただくことができないのです。ですからこの捧げものはイエス・キリストを通してなされる神との新しい契約のしるしなのです。

 クリスマスの主は、祝福の大祭司であり、新しい契約の仲保者です。この方によって私たちは人生におけるあらゆる祝福を受け、そして永遠の命を受け取っているのです。

 ですから心からメリークリスマスと言って、すべてのものを捧げてお祝いしたいと思います。

小田 彰