2022.4.24

「信望愛主」

テーマ「イエス自身が近づいて」 

聖書 ルカ 24章13〜34節

イースターの夕刻、2人の弟子がエルサレムからエマオという村へ向かっていました。エルサレムの標高は790メートルですから城門からの道は下り坂でした。彼らはイエスの復活を信じることができず信仰を失っていました。 1人の名前はクレオパと記されていますがどの弟子であったかは不明です。 

彼らは悲しみの下り坂にありました。そして不信仰で失望の旅立ちでした。

「語り合い論じあっていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いていかれた」(24: 15)

イエスの顕現

①復活後のイエス・キリストは、悲しむ者、失望する者たちにご自身自ら近づいています。

②聖書を解き明かし、「あー、愚かで心の鈍い者たちよ」と叱咤激励しています。

③ 2人とともにエマオの家に立ち寄り食卓の席に着きました。「パンを取り、祝福して裂き、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」

(24: 30、31)と、主ご自身のお姿を示されました。

その結果2人は、夜道にもかかわらず、急遽エルサレムへの坂道を登りました。彼らの人生は全く変わったのです。復活のイエスに出会った人の人生は大きく転換します。失望から希望へ、悲しみから賛美へ、そして弟子たちと合流して新しい主のための戦いが始まりました。

 

悲しみや失望、人生の下り坂にイエスは近づいてくださいます。最も深い苦難の時にイエス・キリストは聖霊の姿をもって近づいてくださるのです。

 

マルコによる福音書では「イエスは違った姿でご自身をあらわされた」(マルコ16: 12)と記録しています。ですから一見イエスとはわからないお姿であったのでしょう。今日的に言うならば「聖霊」による臨在であったと言うことができるでしょう。

 

今ウクライナの惨劇の中にあって、あの製鉄所の地下にこもっている人々の中にあって、イエス・キリストは立っておられます。クレオパらが方向転換してエルサレムに戻ったように、事態の大転換を神はなさるでしょう。それを信じ期待します。

復活のイエス・キリストに聖霊を通して出会う経験を私たちも求めましょう。そこに人生の大きな方向転換があります。もはや悲しい下り坂ではなく、永遠のみくにに向かう福音宣教の戦いが始まるのです。

 

彼らと共に歩まれた主が、今週あなたと共に歩んでくださるようにお祈りいたします。

 

小田 彰