「荒野花咲」
テーマ「遠く広い国を見る」
聖書 イザヤ 33章17〜24節、第一コリント 1章18〜25節
「あなたの目は、麗しく飾った王を見、遠く広い国を見る」(イザヤ33: 17)
前回お話ししたように、28章から33章はアッシリアの大軍によってユダが滅ぼされるという恐るべき預言です。
しかし、その最中にイザヤの目は「栄光のイエス」を仰ぎ、戦いが完全に忘れられてしまった「平和な世界」を見ていました。
私は、多分21歳だと思いますが、信仰を持って将来伝道者になろうと志して、荻窪の教会の牧師館の1室に書生として住み込みました。そこはわずか3畳に足りない窓のない小部屋でしたが、心は未来の幻を見ながらビジョンに溢れた日々を過ごしていました。初めてイザヤ書を読んでいた時、この御言葉に出会ったのです。33章がシオンの救いについて語っていることも、アッシリアの大軍によって滅ぼされる物語であることも知らず、「遠く、広い国を見る」という言葉に、心の視界がパッと広がった経験をいたしました。薄暗い自分の部屋にいながら、輝く王であるイエス・キリストを仰ぎ、無限に広がる神の世界を夢見たのでした。
イザヤ書の特徴は、現実の恐ろしい状況の中にあっても、瞬間的に全く違う次元に飛ぶことができる。重い雨雲の空を見ながら、雲が切れて青空の上に太陽が見えるような表現が綴られています。
あなたは何を見ていますか?自分の人生の問題や課題、病や老後の不安を見ていますか?あるいは毎日の忙しさのために追い回されていますか?
イザヤは、私たちに瞬間的にチャンネルを切り替えて、神の約束と栄光の世界を見なさいと語っているように思われます。
福音書を見ると、イエスは突然山に登り、あるいは静かなところに身を隠されました。群衆の褒め言葉や弟子たちの声からも、完全にご自身を切り離されました。それは神と交わる祈りの世界に入るためでした。猜疑心の強い視線を避け、迫害する者たちから身を隠しました。父なる神との交わりの中に、完全な平和と安らぎを得られました。
変貌山においては、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの眼前でお姿が変わり、栄光の輝きの中に、モーセとエリヤと会見していました。(マルコ9: 1-8)
この不思議な出来事の中に、現世における戦いの真っ只中で、瞬間的に神との平安な交わりの中にお入りになった主イエス・キリストの姿があります。
私たちの日々の生活の中で、イエス・キリストを仰ぐことができるなら、現実生活から全く異なる神の世界に、瞬間的にチャンネルを変えることができます。そこから新しい力が与えられ、新しい働きが始まり、福音が宣べ伝えられるのです。
これを「神の黙示(啓示)」というならば、そこから神の御業が始まるのです。ウィリアム・ケアレーは単なる靴職人でしたが、ある日、神の声を聞きます。そしてインドに伝道して大きな足跡を残しました。
あなたも輝かしいイエス・キリストの姿を見、遠く広い国を体験することを通し、今までとは全く違う目的のために生きるものとされますように願っています。
小田 彰