「荒野花咲」
テーマ「見よ、ひとりの王」
聖書 イザヤ 32章1〜8節、マタイ 11章28〜30節
「正義をもって統べ治めるひとりの王」の表現はイザヤ書にたびたび出てきます(7.9章)。詩篇45篇には知恵ある美しい王の話があります。これは代表的なメシア預言であって、私たちにとってはイエス・キリストを指していると考えられます。イザヤは、ここできたるべきメシア、イエス・キリストがどのようなお方であるかを語っています。
「見よ、ひとりの王が正義をもって統べ治め、君たちは公平をもってつかさどり、おのおの風を避けるところ、暴風雨を逃れるところのようになり、かわいた所にある水の流れのように、疲れた地にある大きな岩の陰のようになる」(イザヤ32: 1.2)
第2節にはこのお方が、4つの意味で、私たちの守り手となってくださることが預言されています。
①風を避けるところ。
それはこの世の風評や、人々の攻撃に対して、主が守り手となってくださるお約束です。(ヨハネ8: 1-11、主イェスは姦淫の現場で捕えられた女を、激しい風評から守りました。)
②暴風雨を逃れるところ。
自然界の天災であるか、社会的な問題であるかは別として、私たちは暴風雨の中に立たされる日があります。(ヨハネ6: 16-21、ガリラヤ湖上における嵐の中で、イエスは水の上を歩いて、弟子たちに近づき、嵐を鎮められました。)
③乾いた地にある水の流れ。
砂漠のような時代の真っ只中に、命の水の川を与え、私たちの魂を潤してくださるのです。(ヨハネ7: 37.38 「誰でも渇くものは、私のところに来て飲むが良い。私を信じるものは、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。聖霊が注がれることを約束してくださいました。)
④疲れた地にある大きな岩陰。
疲れた地とは荒れ果てた社会の様相を示しているのでしょう。(ヨハネ5: 2-9 ベテスダの池のほとりには、治る見込みのない病人たちが、いつか治るかもしれないという絶望的な希望を持って横たわっていました。イエスは38年病気で苦しんでいた1人の人の近くに行って「治りたいか」とお尋ねになりました。そして「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい」とお命じになりました。)
「すべて、重荷を負うて苦労している者は、私のもとにきなさい。あなた方を休ませてあげよう」(マタイ11: 28)
イエス・キリストは、私たちに両手を広げ、「私のもとに来なさい」と呼びかけてくださいます。
この招きの言葉に導かれて、救いに預かった方はどれほどたくさんいるでしょうか。
讃美歌260 千歳の岩よ の詩を書いたトップレディ(1740-1778)は優れた伝道者でした。ある日、馬で旅していると激しい落雷に襲われました。小さな岩陰に馬を止めて身を隠しました。するとその岩に落雷があったのです。そして岩が大きく2つに割れました。しかし彼自身は何の傷も負わなかったのです。その瞬間、彼はイエス・キリストが十字架で割かれてくださり、その傷によって救われたと言うことを知りました。彼が残したたった1曲の詞が、世界の多くの人々の心の支えとなっています。
「ひとりの王」であるイエス様は、私たちの人生の暴風雨の中の守り手であり、飢え渇いた砂漠の中にあって、命の水を与えてくださるお方です。
人生にはたびたび危機が訪れます。そこで風を避ける岩陰となってくださるお方、イエス様に会った人は、生涯この方を王として仕えるものとなります。そして私もその1人なのです。
このお方の陰に守られて、今月も歩むことができますようにお祈りいたしております。
小田 彰