「荒野花咲」
テーマ「あなたを強くし」
聖書 イザヤ イザヤ 41章8〜16節、ヨハネ黙示録 1章7〜8節、17〜20節
70年間のバビロン捕囚からイスラエル民族が解放されて祖国に帰ったいきさつについては、多くの謎があり不思議なことの連続です。信仰を持って生きていると、不思議な出来事によって助けられることがあります。そこに見えない神の御手があるのですね。
預言者イザヤは、今バビロンの奴隷たちの中にいます。しかし、そこで神の解放のメッセージを受け取ったのです。
不信仰であり、偶像礼拝に靡いた愚かな民族であっても、神は決してお見捨てにならないという声によって、彼は力づけられ、人々を励ましました。
「あなたは、私の僕、私はあなたを選んで捨てなかった」と。
恐れてはならない、私はあなたと共にいる。驚いてはならない、私はあなたの神である。私はあなたを強くし、あなたを助け、我が勝利の右の手をもって、あなたを支える。(イザヤ41: 9、10)
この前には「我がしもべイスラエルよ、私の選んだヤコブ、わが友、アブラハムの子孫よ」と呼びかけられています。
①神の選んだイスラエルの民を決して、捨てない、と言う宣言がなされています。
私たちもまた、人生において負いきれないような試練に会うとき、神は見捨てられたのではないかと思うこともあります。しかし、もしイエス・キリストの救いに預かっているならば、決して見捨てられる事はありません。
②「恐れてはならない、私はあなたと共にいる」バビロンに捕えられていた人々は、これから起こる出来事について大きな不安を持っていました。しかし「恐れるな」と神の御声がありました。
③「驚いてはならない、私はあなたの、神である」との御声をかけて下さいました。聖書の中では、神は、しばしば罪深い人々から神と呼ばれることを拒絶なさいました。バビロンに奴隷となっていた人々は、自分たちの不信仰と不従順によって神の裁きを受けたことを知っていました。ですから、共にいて下さり、見捨てないと言われるお言葉に驚いたのです。
今日私たちもその信仰生活において、常に神を第一として歩んでいるわけではありません。ですから、助けを求めることをためらうことさえあります。しかし、聖書は、子供のように大胆に、無条件で神の助けを求めよと言っています。
④「私はあなたを強くし、あなたを助け、我が勝利の右の手をもって、あなたを支える。」ここに3つの動詞があります。「強くし」「助け」「支える」。
誰かが来て助けると言う事だけではなく、私たち自身を強くしてくださる。神の右の御手をもって支えてくださる。なんと力強い励ましでしょうか。
事実、バビロン捕囚からの解放のために、神はペルシャの大王クロスを用いました(BC549-529)。彼は彗星の如く現れ、東はインドから西はギリシャに至るまで征服しました。BC539年にバビロンに入城しました。彼は征服した民族の伝統を尊重し、宗教の自由も与えました。それ故、イスラエル民族に祖国に帰る道が開かれたのです。イザヤ書においては、彼は神の手として用いられています。
○さて、私からの祈りのお願いです。
私たちは今奴隷にされているわけでもありませんし、信教の自由が奪われているわけでもありません。日々の食事に窮しているわけでもありません。
しかし、1月20日明け方、私は目が覚めて、日本のキリスト教会が今後大きく衰退していくのではないかという不安を持ちました。高齢化もあり、青少年の減少もあり、財政の困難もあり、そして更に、コロナ禍に非常に弱体化してしまいました。
そこで、もう一度、共に歌い、共に祈り、語り合い、食事を分かち合って教会を励ます必要を感じました。それが5月5日に開かれる、Let’s sing新Seika 「喜びの歌を共に」です。できればさらに数回の集会を持ちたいと思っております。これは私の一存で始めることであって、今すべての力を投入して準備しております。
今日本の社会全体が硬直状態にあるのではないかと思います。この縛りから解放するために、神様の特別の御助けを祈るものです。
劇的な方法で、バビロンからの解放を成し遂げた神の言葉は、2500年経って、今日の東京においても実現する神の約束であると信じております。
なにとぞ、私のために、またこの働きのためにお祈り下さいますようお願いいたします。きっと神の大きな祝福があなたの上に与えられることと信じております。
小田 彰