「荒野花咲」
テーマ「あなた方は我が証人」
聖書 イザヤ 44章6〜8節、使徒行伝 2章32〜36節
このタイトルをご覧になった方は、すぐに「ただ聖霊があなた方に降る時、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となるであろう」(使徒行伝1: 8)とのみ言葉を思い起こすことでしょう。聖霊の働きによって、私たちはキリストの復活の証人となることができるのです。
しかし「証人となる」という言葉は、イザヤ書に度々出て参ります。
「主は言われる、あなた方はわが証人、私が選んだ我が僕である。」(イザヤ43: 10)
そして、
「あなた方はわが証人である。私の他に神があるか。私の他に岩はない。私はそのあることを知らない」。(イザヤ書44: 8)
このイザヤ書の表現は、偶像礼拝に対して、目に見えない、しかし生きて働いておられる神の証人として、イスラエル民族が選ばれ、神の奇跡を見、救い出されるのだと言うことを物語っています。バビロンは、強大な権力を持っておりましたが、それは偶像に仕える国家でありました。そしてそれは滅びてしまったのです。現代においても、この世の権力や富の力の背景には、この偶像の力が働いています。しかしそれは真の神ではありません。
「証人」とは旧約聖書においては、裁判の時に証言する人です。モーセの十戒には偽証を立ててはならないとあります。見えないが、歴史を支配しておられる神が存在することを、民族を通して証明するために選ばれた人たちがイスラエルです。しかし現実には、神を信じないで、偶像に依存してしまったところにバビロン捕囚という裁きがあったのです。
新約聖書では「キリストの復活の証人」です。「このイエスを神はよみがえらせた。そして、私たちは皆、その証人なのである。」(使徒行伝2: 32)
しかし、私たちの信仰生活の一つ一つの出来事において、神が生きていることを証明しているのです。毎週の礼拝も、洗礼式も聖餐式も、問題や課題にぶつかって祈ることもまた見えない神を証しているのです。「死人を生かし、無から有を生み出す神」を信じているのです。(ローマ4: 17)
あえて整理して申し上げましょう。「キリストの証人」の条件は、
①罪からの救いの体験。(新生経験)
十字架の赦しと、復活の信仰なくして、キリストの証人となることができません。
②神信仰の確立。神が一切の必要を満たしてくださるという確信を持たなければ証しできません。(ピリピ4: 19)
③犠牲を惜しまずに大胆に伝える力が必要です。
④福音を宣べ伝えたいという伝道の意志力を聖霊によっていただかなければなりません。
どうか神に選ばれた証人として、その使命を果たされますようにお祈りしています。まさに聖霊があなたの上に豊かに注がれますように祈ります。
小田 彰