2023.8.6

「荒野花咲」

テーマ「打つ者に背を任せ」

聖書 イザヤ 50章4〜11節、マタイ 26章62〜68節

 

イザヤ書40章以下には、4つの主の僕の歌が記されています。そのうち、第3の僕の歌が今日のテーマです。

「私を打つ者に、私の背を任せ、私のヒゲを抜くものに、私のほおを任せ、恥とつばきとを避けるために、顔を隠さなかった。しかし主なる神は私を助けられる。」(イザヤ50: 6.7)

 

この主の僕は、

第一には、イスラエル民族であり、

第二には、イザヤあるいはエレミヤ自身であり、

第三には、きたるべき、イエス・キリストであり、

第四には私たち自身であります。

 

上記のみ言葉を読みますと、十字架にかけられる前に夜通し、裁判されたイエス・キリストの姿が目に浮かんで参ります。(マタイ26: 67)

 

40章以下の4つの主の僕の歌をお知らせしておきましょう。

①42:1-9…傷ついた葦を折ることなく

②49:1-6…主は私は生まれた時から召し

③50:4-9…打つ者に背をまかせ

④53:1-12…その打たれた傷によって癒されたのだ

 

主の僕は、神に選ばれ、御言葉を託され、その使命を遂行しようとする時、そこには迫害がありました。侮辱され、打ち叩かれました。しかし「神は私を助けられる」と信じ(7節)、不屈の信仰と勇気とを持って戦い抜く時「神が弁護される」と確信しました。(8節)

試練を耐え忍びつつも、希望を失わず、信仰が揺れない人はいますか。そこにキリストの弟子たちの姿があります。信じて、待ち望む信仰に立ちなさい。それは不動の信仰です。

 

「あなた方のうち主を恐れ、その僕の声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、己の神に頼るものは誰か。」(イザヤ50: 10)

 

私たち自身も、また周囲にも忠実な信仰者であり、主のためによく働いているにもかかわらず、多くの試練や病や問題に打ちひしがれ、祈っても祈っても解決しない暗闇の中を歩いている人があります。しかしその人は決して不幸ではありません。希望の光を遠くに見ながら、忍耐強く戦い続けているのです。神様が必ず報いてくださることを確信しているからです。

 

イエスの弟であったヤコブがこのように語っています。

「試練を耐え忍ぶ人は幸いである。それを忍び通したなら、神を愛する者たちに約束された命の冠を受けるであろう」。(ヤコブの手紙1: 12)

 

連日猛暑の日々を過ごし、厳しい夏を迎えておりますが、あらゆる状況の中にあっても、待ち望む信仰によって神の栄光を見させていただきたいと思います。このような信仰があなたにも与えられますように祈ります。

小田 彰