2024.1.14

テーマ「神の力に支えられて」

聖書 第二テモテ 1章1〜8節、ルカ 3章15〜22節

     

 テモテ第二の手紙は聖パウロが書いた最後の手紙です。彼はAD67年頃ローマにおいて殉教したと言われています。AD64年に、ネロ皇帝は、ローマ市を造り変えるために、自ら火を放ちました。その大火災の犯人として、クリスチャンたちが罪を背負わされました。そしてクリスチャンのリーダーである。パウロは捕えられ、牢獄の中にその最後の時を迎えようとしています。

今、彼が最も信頼する弟子であり、有能な牧師であるテモテに「激励の手紙」を書いています。

なぜならテモテは祖母ロイスと、母ユニケの篤い信仰の後継者で、教会指導者たちからも信頼を受け、按手礼を受けて牧師になったのです。しかし唯一弱点があるとすれば「臆病」であったことです。迫害の時代に強いリーダーシップを発揮して、人々を導くことができるかとパウロは心配していたと思われます。

 

「だから、あなたは、私たちの主の証をすることや、私たちが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、私と苦しみを共にしてほしい」。(1:8)

 

さて、パウロは、人生の苦難において、忍耐強く立ち向かえるかどうかは聖霊経験にかかっていると言っています。心の内に居ます聖霊こそが、いかなる外的に対しても強く立つ力です。

 

イエス・キリストにおいてもそうでした。「さて、民衆が皆、バプテスマを受けた時、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊が鳩のような姿をとって、イエスの上に下った」。(ルカ3:21、22)

イエスが困難な時代に、妥協することなく、まっしぐらに十字架の道を走り抜くことができた秘訣は水のバプテスマを受けたときに注がれた聖霊のバプテスマでした。聖霊は私たちに力を与えるばかりではなく、正しい判断力を与え、神の御心を実践させるのです。

 

「こういうわけで、あなたに注意したい。私の按手によって、内にいただいた神の賜物を、再び燃え立たせなさい。と言うのは、神が私たちにくださったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」。(1:7)

 

与えられた聖霊とは「臆病の霊」ではないと宣言しています。ここで「福音の弥次郎兵衛」と言われる、「力、愛、慎みの霊」が示されました。力はユダヤ的な宗教的力です。愛はキリスト教的犠牲的な性質です。慎みとはギリシャ思想における自己節制(selfcontrol)でストア派の理想でした。パウロはこのような哲学的な深い理想像を聖霊のうちに見ていたのです。

若き軟弱なエリート伝道者テモテに、聖霊によって強く立つように促しています。

 

今年、社会的な不安を感じさせる時代に生きるあなたが、恐れることなく、正しい判断を持って行動できますように、パウロの言葉は与えられたのではないでしょうか。御言葉によって与えられた聖霊の力を存分に発揮されますようにお祈りしています。

 

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。」(第一ヨハネ4:18)

 

小田 彰