2024.10.20

「信仰の確立」(コロサイ 2:6〜7、エペソ 3:17〜21)

 

さて、今日は2章6節と7節の短い文章の中から「キリストにあって歩む」(キリストと共に歩む)ことについて、多少人生論的に考察してみたいと思います。

 

「このように、あなた方は、主キリスト・イエスを受け入れたのだから、彼にあって歩きなさい。また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、溢れるばかり、感謝しなさい。」(コロサイ2:6、7)

 

イエス様は「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい。」(ルカ9:23)と力強く厳しい口調で言われました。主に従うという姿が信仰者の姿です。

 

しかし、パウロは「主と共に歩く」事の中に信仰生活があると表現しています。コロサイ人への手紙は、キリスト(真理)を知る知識を追い求めるように勧めています。

 

キリストと共に歩くことを通して、キリスト(真理)を知ることができるのです。そして信仰は成長し確立されていきます。まず

①自分の無力者と無知を知ります。

②自分の不信仰と罪を自覚します。

③キリストの愛に気づきます。

④十字架が自分のためであったことを知ります。

⑤その結果、罪の赦しと救いの確信が与えられます。

 

確かな信仰に導かれた時、大いなる感謝が満ち溢れます。

ハレルヤの道です。

 

アメリカの「足跡」(footprint )とう素晴らしい詩がある事はご存知でしょう。

 

ある夜一人の男が夢の中で、主と共に海岸を歩いていました。

大空には、彼の人生の過去のひとこまひとこまが写し出されていました。そしてそれぞれのシーンに、2組の足跡が砂の上にあるのに、彼は気がつきました。1つは彼のもの、そして、もう一つは、主のものでした。

 

彼は砂浜に刻まれた足跡を見ていましたが、人生の最も辛い時にその足跡がひと組だけになっていることに気が付きました。

主に尋ねました、

「かつてあなたは全生涯、私と共にいてくださると言われました。

しかし、私が人生の最も苦しかった時に、1組の足跡しかなかったことに気が付きました。あなたを一番必要としていたときに、なぜあなたは私を見放したのかわかりません」

 

主は答えられた、

「私の最愛の子よ、私はあなたを愛している。そして、決してあなたから離れはしない。あなたの試みの時、悩みの時、足跡が1組しかなかったのは、その時、私があなたを背負っていたからだ。」

 

「私はあなたちの老いる日まで、白髪になるまで背負っていこう。私はあなたたちを造った。だから、私が担い、背負い、救い出す。」(イザヤ 46:4 新共同訳)

 

シスター渡辺和子先生の言葉に深い語りかけがあります。

一人ひとりが自分の存在の奥深いところに、1つの「聖所」とでも呼ぶべきものを持ち、年とともに大切に育てていくということなのです。そこは、他の誰にも、親にも、配偶者にも、親友にも、恋人にも踏み込ませない自分の心の部分であるとともに、どんなに愛し、信頼した人から、裏切られた時にも、逃れて、自分を取り戻し、自分を立て直すことのできる場所です。(美しく生きる秘訣より)

 

この「聖所」こそ心の奥底に住まわれるキリストなのです。

 

今週もキリストがあなたと共に歩まれますように。また、あなたがキリストから手を離すことがないように。そして、キリストが向かわれる方向がゴルゴタの丘であっても、ご一緒することができますように。

祝福を祈っています。

小田 彰