2024.4.7

「キリスト・イエスにある人々」

(ピリピ1:1〜5、使徒行伝16:6〜18)

 

今日からピリピ人への手紙に入ります。テモテ第二の手紙を4ヶ月学びましたが、パウロが、ローマの牢獄からAD66年頃送った最後の手紙であり遺言でした。しかしパウロはAD61年頃から、1回目のローマの獄中生活を送っているのです。この時の牢屋は軟禁状態で、普通の住まいで生活をすることが許されていたようです。この1回目の獄中から送った手紙が、ピリピ人への手紙です。それはパウロが語りテモテが書いたと思われます。この頃テモテはパウロに同行しその伝道旅行を助けました。

この手紙は「喜びの手紙」とも呼ばれます。ピリピ教会とパウロとの信頼と愛情が満ち溢れているからです。

また、お互いに祈りの絆で結ばれていたことがわかります。

祈りは、神と人との交わりであると同時に、信頼して祈る者同士の信仰の絆となり、福音の美しい布が織りなされていくのです。

 

「私はあなた方を思うたびごとに、私の神に感謝し、あなた方一同のために祈る時、いつも喜びをもって祈り、あなた方が最初の日から今日に至るまで、福音に預かっていることを感謝している。」(1:3、4、5)

「この書」の特徴は、「感謝、祈り、喜び」に満たされていることです。

パウロは、ピリピの教会の人たちがキリスト中心の信仰をしっかりと持ち続けていることを知っていました。またピリピ教会の人たちは、パウロの宣教のビジョンをよく理解し、そのために支えようとしました。両者が信頼と祈りによって結ばれていたのです。ですから、福音の美しい織物が仕上がったのですね。

 

このような良い教会は良いスタートに理由があります。使徒行伝16章は、ピリピ教会誕生の出来事を克明に語っています。紫布の商人ルデア(13〜15)

、占いの霊に憑かれた女奴隷(16〜24)、ピリピの獄吏と家族(25〜34)の三人が最初の信徒となりました。

 

良い教会には、必ずその初めに劇的な救いの体験者、献身的な奉仕者、十字架の愛に溶かされた人がいるものです。彼らは単に救われて、喜びに満たされるだけではなく、どんな苦しみをも耐えながら、福音宣教を進めていこうとする祈りを持っていました。

ですからパウロは

「あなた方は、キリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜っている。」(1:29)

と語ることができたのです。

 

このような信頼しきった祈りの交わりが、与えられたならば、なんと幸いでしょうか。ピリピの手紙を通して、祈りの交わりを育てていきましょう。

またパウロは、祈りによる力と平安について次のように述べています。

「何事も思い煩ってはならない。ただ事ごとに感謝をもって祈りと願いとを捧げ、あなた方の求めるところを神に申し上げるが良い。そうすれば、人事では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとをキリスト・イエスにあって守るであろう。」(4:6、7)

 

この春、感謝と喜びに満ちて祈り、それによって「人知では、到底測り知ることのできない平安」を神様から与えていただきましょう。

神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰