「福音にふさわしく」(ピリピ 1章27〜30節、使徒行伝 4章27〜36節)
パウロがピリピ人への手紙を書いたのは、先週のペンテコステの出来事からおよそ30年ぐらい経っていました。
聖霊を待ち望んだ最初のクリスチャンたちは、心を一つにして、へりくだって悔い改め、互いの愛と信頼を深めながら、祈り求めました。
しかしあれから30年経ち、教会は発展し、信徒は増えましたが、十字架と復活を宣べ伝える人々の中に、はじめの共同体の姿はありませんでした。
ますます外部からは迫害の圧力がかかってきます。
今こそ心を合わせて福音のために戦う人々を求めているのです。
「ただあなた方は、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。
あなた方が一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって、福音の信仰のために力を合わせて戦い、かつ何事についても敵対する者どもに狼狽させられないでいる様子を、聞かせて欲しい。
あなた方は、キリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことも賜っている。」(ピリピ1:27、28、29)
「ふさわしく」という言葉には、パウロ独特の意味があります。
ローマ帝国下において、ピリピ市は植民都市とされていました。
その都市の成り立ちにおいても、建築物においても、軍隊においても、生活文化においても、イタリアのローマに引けを取らないプライドを持っていたのです。
ですから、市民はピリピ市の特権にふさわしく生活していました。
3章20節において、パウロは「私たちの国籍は天にある」と言っていますから、クリスチャンたちは天国市民なのです。
ですから、天国市民にふさわしく生活しなさいと勧めているわけです。
27節について、英語欽定訳聖書は「キリストの福音にふさわしく会話しなさい」と書いています。
ここではマナーという言葉が使われています。
どんな作法にもマナーがあります。
交通ルールにもマナーがあります。
ましてやクリスチャンの行き方にはマナーがあるのですね。
[5つの気をつけるべきマナー]
①言葉づかい(言葉にキリストを着よ)
②時間の意識において(終末を意識し、今は何をすべき時か?)
③金銭の使い道において「ふさわしく」
④逆境において強い信仰を
⑤できる限りすべての人と平和に