「希望の言葉⑧ 和解の言葉」 (CFIニュースレター2019.9月号より)
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[今月の聖書]
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。(ヨハネ3:3)
割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。(ガラテヤ6:15)
正しき者よ、主によって喜べ、さんびは直き者にふさわしい。
琴をもって主をさんびせよ、十弦の立琴をもって主をほめたたえよ。
新しい歌を主にむかって歌い、喜びの声をあげて巧みに琴をかきならせ。(詩篇33:1-3)
すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。(エペソ4:22-24)
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。(コリント第二5:17-18,20)
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。(ローマ7:6)
お元気でお過ごしでしょうか。今月は「和解の言葉」と題して、希望の言葉聖書の中心的メッセージをお伝えいたします。キリスト教と言えば愛の宗教、赦しの道、十字架の平和、犠牲をもいとわない奉仕、など世界の平和に貢献した聖書の言葉の意味を一般の人もよく知っています。太平洋戦争で日本が敗戦してから74年になります。しかし今ほど再び戦争に巻き込まれるのではないかと思われる不安な空気が流れていないでしょうか。ただいまこの録音をしている最中にも、韓国と日本の政府が断絶したかのような事態が起こっております。それぞれの国が自国の利益だけを追求しようとしますならば、限りなく戦争は終わらないのです。しかし同様に個人においても、愛し合い、理解し合い、赦し合うほどまで心は成長していないのではないでしょうか。しかし、イエスキリストにつながるとき、人は新しく生まれ変わるのです。そして初めて神と人、人と人との和解の言葉を語ることができるようになります。この新しい人に生まれ変わることこそ聖書の語る福音です。ただそれを自分のものにしない限り、無意味で、無力なのです。神様の深い導きと祝福をお祈りしています。小田彰
(お知らせ)
9月3日(火)13:00 千葉集会(京葉銀行文化プラザ7F TEL 043-202-0800)
9月10日(火)13:00 横浜集会(福音喫茶メリー TEL 045-231-6773)
*9月11日(木)19:00東日本大震災復興支援超教派一致祈祷会(淀橋教会)
*9月7日(土)、8(日)日本キリスト教団 土佐教会チャペルコンサート、伝道礼拝(お問い合わせ TEL 088-872-7127)
*9月23日(月・祝)14:00 第28回 関西エヴァンジェリカルハーモニー 賛美の祝宴(大阪クリスチャンセンターOCCホール、お問い合わせ06-6762-7701、前売りチケット¥1,000 当日券¥1,300)
「希望の言葉⑦ 天からのパンを」 (CFIニュースレター2019.8月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
「イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」(ヨハネ6:35)
「よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。」(ヨハネ6:47〜51)
そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。モーセとアロンは、イスラエルのすべての人々に言った、「夕暮には、あなたがたは、エジプトの地からあなたがたを導き出されたのが、主であることを知るであろう。また、朝には、あなたがたは主の栄光を見るであろう。主はあなたがたが主にむかってつぶやくのを聞かれたからである。あなたがたは、いったいわれわれを何者として、われわれにむかってつぶやくのか」。モーセはまた言った、「主は夕暮にはあなたがたに肉を与えて食べさせ、朝にはパンを与えて飽き足らせられるであろう。主はあなたがたが、主にむかってつぶやくつぶやきを聞かれたからである。いったいわれわれは何者なのか。あなたがたのつぶやくのは、われわれにむかってでなく、主にむかってである。」(出エジプト16:4〜8)
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28〜30)
お元気でお過ごしでしょうか。今月は「天からのパンを」と云う題で、ヨハネによる福音書6章に記されているイエスキリストの言葉に耳を傾けてみたいと思います。パンの問題は旧約聖書、新約聖書を通じて聖書独特のコンセプト(概念)です。なぜイエス・キリストがご自身を「命のパンである」といったのか。ユダヤ人にとって何故そんなに関心があったのか。5000人以上の人たちにお腹がいっぱいになるまでパンを与えたと云う記事は何を意味しているのか。これらの関心はただイエス・キリストの時代にあった出来事と云うよりも、さらに1500年も前にモーセが出エジプトにおいて、荒野でパン(マナ)を与えたと云う出来事と関係しているのです。200万人とも言われるイスラエル民族がエジプトを脱出して、40年の間、畑を耕すこともなく、羊を飼うこともなくカナンの地に到着するまでの長旅をなし得たのは、天よりのマナがあったからです。ですから天よりのパン(マナ)の問題は人生における究極的な生存権的問題を神がいかに解決してくださるかと言う重大テーマなのです。
前回、土の器(第二コリント4:7)のお話をしましたが、まさに人は土から作られて土に帰る素焼きの器のようなもろい無価値な存在なのです。しかし土の器が生きている限り、生きる意味が問われ、生活をしていくための食べ物が問われ、神を信じ栄光を表すと言う信仰が問われているのです。
ですからパンの問題は、1生活問題 2信仰問題 3永遠の問題 に関わるテーマなのです。
「すべて重荷を負うて苦労しているものは、私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。」(マタイ11:28)と言われたイエス・キリストの言葉は、神が私たちの生存と信仰に関わる全ての問題を解決して下さると云う慰めの言葉なのです。今月も神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
小田彰
(お知らせ)
*地区集会のご案内
8月21日(水)11:00 水曜礼拝(自由が丘チャペル)
*9月11日(日)16:00東日本大震災復興支援超教派一致祈祷会(淀橋教会)*9月7日(土)、8(日)日本キリスト教団土佐教会チャペルコンサート、伝道礼拝
*9月23日(月祝日)14:00 第28回関西エヴァンジェリカルハーモニー「賛美の祝宴」(大阪クリスチャンセンターOCCホール チケット1000円当日券1300円)
「希望の言葉⑥ 光もとめて」 (CFIニュースレター2019.7月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。(ヨハネ8:12)
光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。(詩篇112:4)
主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。(詩篇34:5、6)
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。(第一ヨハネ1:5、7)
そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。(ヨハネ12:35、36)
起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。
見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。
もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。
(イザヤ60:1〜3)
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩篇119:105)
お元気でお過ごしでしょうか。
今月は「光求めて」と云うテーマでお話しいたします。イエス・キリストは「私は世の光である」と言われました。そのキリストの光を求めつつも、なかなか光に到達しない現実があります。
クリスチャンとなりましてもしばしば、不信仰が心をよぎり、真の光が見えなくなる経験をいたします。近年高齢化社会が進んでいるために、熱心な信仰者であっても、信仰の灯が消え、はっきりとキリストの救いを告白できないこともあります。
クリスチャン作家阪田寛夫は母の死に向かう姿を見ながら「土の器」を書き、第72回芥川賞を授与されました。人生の暗闇は老いばかりではなく、①罪の意識②経済的能力的肉体的弱さ③愛の欠如、特に社会的冷淡さ④死の恐怖などを上げることができます。
「光は正しいもののために暗黒の中にも現れる。」(詩篇112:4)
この詩篇はハガイとゼカリヤによって書かれたのではないかといわれています。
正しい生き方をしようとするときに受ける攻撃の中で体験する暗闇です。
ここで言う光は「神ご自身」であります。人生の暗闇の真っ只中で光である神が現れると言う約束です。
単に試練がないように祈るのではなく、試練の最中にあっても神の光を見ることが出来るようにと祈るべきであります。
それは信仰の祈りです。
神の祝福をお祈りいたします。
小田彰
(お知らせ)
*地区集会のご案内
7月2日(火)13:30広島集会。(広島駅北口TKPガーデンシティープレミアム3C)
7月9日(火)横浜集会。(福音喫茶メリー TEL045-231-6773)
7月17日(水)水曜礼拝、ジョイコーラス。
7月18日(木)バイブルアカデミー(受講料3,000円)
*7月11日(木)19:00東日本大震災復興支援超教派一致祈祷会(淀橋教会)
「希望の言葉⑤ 神の愛」 (CFIニュースレター2019.6月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
(ヨハネ14:1〜6)
呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。
(イザヤ40:3〜5)
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
(マタイ7:13〜14)
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(ルカ10:42)
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
(ヨハネ17:3)
お元気でお過ごしでしょうか。
今月は希望の言葉5「道・真理・命」と題して聖書の中心人物イエスキリストについてお話いたします。
聖書と言う書物に取り組み始めて、その膨大さに圧倒されて読むことをやめてしまう方が多くあります。
旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻。それぞれが異なる時代にかかれ、また40人以上の著者によってまとめられました。
旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語でかかれました。
どう見ても1つの意思がこの聖書を一貫して書いているとは思えない難しさがあります。
しかし深く読み進めていきますと、隠れた神の意思が選ばれた人々の筆を通して私たちに愛を語っているということに気づきます。
旧約聖書は1つの民族を指し示し、新約聖書はその民族から現れたイエスキリストを指しています。
言葉を変えて言えば聖書の66巻は、このイエスキリストを指し示す人々の指であると考えられます。
それではイエスキリストご自身は、ご自分をどのように表しているのでしょうか?
今日のテーマは、イエス・キリストがご自身を「道」、「真理」、「命」と表現してくださいました。
①それは永遠の命に至る唯一の道です。
②それは混沌とした時代における唯一の真理です。何が大切かということがわからなくなってしまった時代に「なくてならぬもの」を示しています。
③それは命です。地上において神の目的を持って、生きがいを持って、あらゆる逆境を乗り越えて、神をほめたたえて生きる命です。
またこの命は地上の命だけではなく、永遠の命です。天国において過ごすための命です。
イエス・キリストはこのようにご自身を表されました。
聖書の御言葉があなたの人生に唯一の道を示してくださるようにお祈りいたします。
この方こそ聖書の中心人物なのです。
祝福をお祈りいたします。小田彰
(お知らせ)
*地区集会のご案内
6月4日(火) 13:00 CFI千葉集会(東天紅千葉駅前センシティタワー22F TEL043-238-555)
6月7日(金) 13:00 関西集会(大阪聖パウロ教会)
6月11日(火)13:00 CFI横浜集会(福音喫茶メリー TEL045-231-6773)
6月19日(水)11:00 水曜礼拝、
14:00 ジョイコーラス(自由が丘チャペル)
*6月11日(火)19:00 東日本大震災復興支援超教派一致祈祷会(淀橋教会)
*6月20日(木)11:00 バイブルアカデミー
(自由が丘チャペル、受講料3,000円)
*7月2日(火)広島集会(会場未定。後日連絡いたします。)
「希望の言葉④ 神の愛」 (CFIニュースレター2019.5月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ 3:16)
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。わたしはどこへ行ってあなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。」(詩篇 139:1、5、7、9、10、16、17、18)」
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(第二 コリント 3:18)
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(第一 ヨハネ4:10)
「あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」(ヨハネ17:2、3)
お元気でお過ごしでしょうか。今月は希望の言葉④「神の愛」と題してお話いたします。先月は受難のキリスト、また復活のキリストを深く思いました。このキリストの姿は罪深い私たちに寄り添ってくださり、犠牲となってくださり、落胆して歩むものに伴ってくださるお方を意味しています。一言で言うならば、イエス・キリストは我らの最良の友であります。イエス・キリストが指し示している神もまた、私たちを愛し、私たちに寄り添い、私たちのためにあらゆる犠牲を払い、私たちを救いだし導こうとしてくださるお方です。神の愛は三つのヘブル語によく表されています。①インマヌエル「神共にいます」、②シャローム「平安があるように」、③ハレルヤ「神に栄光」。聖書の神の愛は人間の愛のように、愛の証や行為の前に存在があります。神ご自身が愛なのです。神様は今日もあなたと共にいてくださいます。現実生活の厳しい苦悩と動揺の中にあっても、常に平安を与えてくださいます。そして人間の究極の目的は神の栄光を表すことですが、罪深い人間にもかかわらず、ついに神の栄光を表す働きの一端を担うことができるのです。一言で言えばハレルヤと言うことばで一生を完成させてくださるのです。この神の愛のうちに生きることこそ私たちの幸せなのであります。
小田彰
(お知らせ)
*地区集会のご案内
5月14日(火)13: 00 CFI 横浜集会(福音喫茶メリー TEL 045-231-6773
5月15日(水) 11: 00 水曜礼拝、14: 00ジョイコーラス(自由が丘チャペル)
*5月11日(土)16: 00 東日本大震災復興支援超教派一致祈祷会(淀橋教会)
*5月16日(木)11: 00 バイブルアカデミー
(自由が丘チャペル、受講料3,000円)
*6月4日(火) 13: 00 CFI 千葉集会(東天紅千葉駅前センシティタワー22F (TEL 043-238-555)
*6月7日(金) 13: 00 関西集会(大阪聖パウロ教会)
「希望の言葉③」 (CFIニュースレター2019.4月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。(Iコリント1: 18)
ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。(Iコリント1: 22-25)
しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。(ガラテヤ6: 14)
主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。(Iヨハネ3: 16)
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(Iペテロ2: 22-24)
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(Iコリント15: 20-22)
[メッセージ]
お元気でお過ごしでしょうか。今月は希望の言葉③「十字架の恵」と題して福音の中心テーマをお話ししたいと思います。旧約聖書の重大テーマは、アブラハムがその子イサクを神に捧げたと言うことです。それは新約聖書において、神が御子イエスキリストを十字架につけて、私たちの身代わりとしてくださったと言うことにつながります。それは人間が持っている本質的罪の苦しみから、イエス・キリストの十字架によって救いがもたらされると言う福音を意味しています。アダムによって人間に入った罪が、イエスキリストの十字架によって永遠の命へと導かれると言う「福音」なのです。
“ One for all, all for one.”(1人はみんなのために、みんなは1人のために)と言う言葉は、よく福祉で用いられたり、大学のモットーになったりしています。本来1844年に、アレクサンドル・デュマ・ペールによって作られた「三銃士」で述べられた言葉です。スイスの国会議事堂の天井ステンドグラスにも用いられています。それはまさに、イエス・キリストが全人類のために十字架に掛かられたことを意味しています。主の受難と復活を思いめぐらすシーズンに、神の恵みと祝福が豊かに与えられますようにお祈りいたします。
小田彰
「希望の言葉②」 (CFIニュースレター2019.3月号より)
音声メッセージ
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お元気でお過ごしでしょうか。今月は希望の言葉②「人生の指針」と題してお話いたします。
信仰とは神に導かれる旅であると言われます。
自分で舵を取るところから、神の導きに従って生きると言う生き方の変更を意味しています。
古代の人々は不思議な霊的経験によって神の声を聞きました。
私たちはその記録の集大成である聖書によって神の声を聞くことができます。
人生には迷いと不安と言う2つの大きな試練が待っています。
迷いに対して聖書は「思い煩うな」と言い、不安に対しては「恐れるな」と言っています。
人生の節目で、また試練のただなかで、聖書の言葉から神の御声を聞くことによって試練を乗り越えられる人は幸いです。
あなたの聖書が生き生きと心を励ますものとなりますようにお祈りしています。
小田 彰
「希望の言葉①」 (CFIニュースレター2019.2月号より)
音声メッセージ
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お元気でお過ごしでしょうか。今月は「希望の言葉」と題してお話します。
「初めに言があった」(ヨハネ 1:1)と書かれていますが、世界の全てのものは神の言葉によって創造されました。
1月からのテーマとなっているアブラハムの生涯においては、しばしば神が語られました。神の言葉によって彼は進み、とどまり、慰められ、また希望を持ちました。
しかし今日私たちが持っているような、紙に書かれた聖書からではありませんでした。神は愛するものに、みことばをもって語りかけられます。選ばれた人物に対する神の言葉が、記録されて今日の聖書が編纂されています。新約聖書で聖霊が働いて以来、誰でも信仰を持って読むときに、聖霊が働いて、過去の自分ではなく現在の私のための言葉として与えられるのです。
神の愛の言葉は罪に悩み、人生に悩み、生きることの苦悩を経験している私たちに対して与えられました。私たちが理解できる言葉で、わかりやすく現代にかたりかけています。それが聖書です。そして、聖書があなたの人生の「希望の言葉」となりますようにお祈りしています。
小田 彰
「天星浜砂」 (CFIニュースレター2019.1月号より)
音声メッセージ
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[今月の聖書]
「わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたがわたしの言葉に従ったからである。」創世記22章17、18節(口語訳聖書)
[メッセージ]
あけましておめでとうございます。
今年の4文字熟語は、「天星浜砂」となりました。
2019年に対する神の、祝福の約束です。信仰の父アブラハムは、ひとり子イサクを神に捧げるという大きな試練を経験しました。
彼の生涯における最大の試練でした。
ついにアブラハムはモリヤの山で、イサクを捧げるために祭壇に彼を寝かせました。
神はその徹底した信仰を見、イサクを救い、アブラハムと子孫に祝福の約束を与えました。
この祝福の約束の中に、イエス・キリストは誕生し、私たちの救いと未来も包含されています。
第一にそれは全く新しい次元の祝福です。熱心や努力による信仰の結果ではありません。
第二にそれは淡々と神の御言葉に従う者に対する祝福です。
第三に、天の星のように浜辺の砂のように子孫が増えるという約束は無限大を意味しています。
第四にアブラハムの子孫によって全世界の人々が祝福を受けると言う約束は、究極的にはイエス・キリストによる救いを意味しています。
この御言葉を信じて歩んでまいりましょう。
神の祝福が豊かにありますように。
小田 彰
「暗闇の中に光を」 (CFIニュースレター2018.12月号より)
音声メッセージ
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メリークリスマス2018!
ともに、クリスマスをお祝いできますことを心から嬉しく思います。
災害の多い1年でした。悲しい出来事も起こりました。世界は荒れています。人の心がすさんでいます。
しかしベツレヘムの飼い葉おけの中に生まれてくださったイエス・キリストによって、慰められ、希望を持つことができます。
暗闇を感じれば感じるほど、イエスキリストの光は輝きます。クリスマスのメッセージは、「約束の成就」といっても過言ではありません。
旧約聖書の神は、世界の救い主を到来させ、新約聖書の世界を開かれました。
神の約束は必ず成就します。個人に対しても、国家に対しても、世界に対しても、約束は成就します。
この救いの約束が成就するということが、神の愛の証なのです。
ですからクリスマスは神の愛の証なのです。決して裏切ることのない神はあなたを愛しています。そのまま信じ、受け入れましょう。それがクリスマスの喜びです。神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
小田 彰
「人生の句読点」 (CFIニュースレター2018.11月号より)
音声メッセージ
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[メッセージ]
お元気でお過ごしでしょうか。
北海道では冬の到来を感じつつも、ここ東京においては爽やかな晩秋を喜んでいる昨今です。
「風・雲・水 静かなり」と色紙に書いて、神のみ声を聞こうとしています。
台風や豪雨の多かった9月10月でしたが、冷風と晴天によって時が刻々と過ぎていることを感じます。
そして永遠なる神の前に立たされていることを実感します。
さて「句読点」とは?
ひとまとめの文の最後につけるのが句点「。」で、文中に読みやすくして、正確な理解を助けるための読点「、」があります。
英語では文をsentenceと言いますが、語源は「判決」というような生死に関わる言葉です。
あえて「人生」と言ってもよいでしょう。そうしますと句点は「生であり死である」とも解せます。
ローマの獄中で最後の数年を過ごしたパウロは「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」(ピリピ1:21)と、きっぱりと言ってのけたのです。
人生の始めと終わりの間に、いくつかの読点「、」がありますね。
それが今あなたが直面している出来事です。
私は福音にふさわしく、神の栄光のために生きたいと願い祈っています。
祝福がありますように!
小田 彰
「一羽の雀でさえ」Ⅱ (CFIニュースレター2018.10月号より)
音声メッセージ
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お元気でお過ごしでしょうか。
今日のテキストは詩編102編です。
7節に「わたしは眠らずに屋根にひとりいるすずめのようです。」とあります。
家庭の団欒を遠く見ながら、ひとり屋根裏にいるすずめとはなんと言う寂しさでしょうか。
さて今日のテーマは「一羽の雀でさえ」ですが、私が若いときから歌ってきた「一羽のすずめに」を思い出される方も多いと思います。
この雀はレイモンド・エドマン博士の『人生の訓練』の中では「孤独における訓練」で取り上げられている箇所です。
パスカルはパンセの中で「人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいくのであるから、ひとりであるように生きるべきだ」と言いました。
ひとりである意識は「孤独」と混同されることが多いのですが、そうではありません。
それは「神と我のあいだに何も置かない」信仰的意識を意味しています。
しかし、しばしば試練や悩み事、病気や人間関係のトラブルの時、神との一対一の関係に気付き、真剣に祈ることができるのです。私は10月10日、20歳の秋に、孤独と虚無の中から、神に叫び求めて、救いを見いだしてから51回目の記念日を迎えています。そして今も私の「救い」とは何であったのか、神との出会いが何であったのかを自問自答しているのです。この大いなる体験をあなたも味わわれますようにお祈り致します。
小田 彰