テーマ「主の み声」
聖書 詩篇29:1-11
「主の御声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、主は大水の上におられる。」(29: 3)
詩篇29篇。ダビデの晩年、三年間の旱魃で国中が苦しみ悶えた時に、神様にその理由を尋ねました。先代サウロ王の罪の故と示され悔い改めた後に、大豪雨があり国土が回復しました(B C1019サムエル下6章)多分その感謝の式典における賛美だと思います。「主のみ声」が7回出て来ます。創世記1章で神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(3節)
この言葉が繰り返されて天地創造がなされます。神が言われると創造が始まり、私たちが支えられ、歴史が作られていくのです。ダビデは国家的な危機の中で神の言葉がすべての解決であることを知っていました。それを歌に表して国民に理解させようとしたのです。この詩篇には激しい言葉の記録が載っていますが、ダビデが密かに神と語りあったという交わりが実は大切なのです。
私は長い伝道者生涯の中でたびたび「どのように神の声を聞かれたのですか」と尋ねられたことがあります。この点についてはクリスチャンは訓練する必要があります。まず聖書の言葉を蓄えることです。問題にぶつかったときに切に祈ることです。聖霊は御言葉を思い出させ適切に導いてくださいます。もちろん聖書以外の方法でも、人の言葉や出来事を通して神の意思を悟ることがあります。それが主の御声であり導きでありましたら幸いです。
かつて英国留学中にオールソールズ教会の名誉牧師ジョンストット博士の話を聞いたことがあります。彼は有名なバーズウォッチャーでしたが、幼い頃父親がたびたび山や川や大自然の中に連れて行き、自然界の音を聞くことを教えられたそうです。大きな音ではなく小さな鳥の声を聞き分ける耳を持つ事でした。神の声を聞く繊細な耳を私たちは体得しなければなりません。そうでないと長年クリスチャンであっても、常に迷いと恐れの中にあるからです。神はあなたに語りかけておられます。
バビロン捕囚からの解放の予言の中に次のような言葉があります。
またあなた方が右に行き、あるいは左に行くとき、その後で「これは道だ、これに歩め」という言葉を耳に聞く。(イザヤ30: 21)
このような御声を聞き分けることができる人は幸いです。今コロナ禍の中にあって、不安や恐れが日々迫ってきます。しかし私たちは神の御声を聞き分けていますから、行くべき道について迷いはありません。この秘訣をぜひ身に付けていただきたいと思います。神の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。
小田 彰