テーマ「惜しみなく施す富」
聖書 第二 コリント8章1〜5節
「すなわち、彼らは、患難のために激しい試練を受けたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、溢れ出て惜しみなく施すす富となったのである」(8: 2)
3年間伝道したエペソから迫害を逃れてトロアスに向かったパウロは、そこでコリントから来るテトスを待ったが、会うことができずマケドニアに行ってテトスと再会した。コリント教会との和解の問題とは別に、ここで試練の中で苦闘しているエルサレム教会の支援をピリピ教会やテサロニケ教会の実情を通してお願いしています。
別にタイトルをつけるとすれば「愛の捧げもの」となるでしょう。それは通常の教会を維持するための献金ではなく、貧しい人々、あるいは試練の中にあって迫害されている人々に対する特別の支援金なのです。
今日私たちは東日本大震災の被災地を覚えて祈っています。また九州キリスト災害復興センターの為にも祈りつつささやかな捧げ物をしています。しかしこのような支援をするときに、知らなければならない心構え、動機の問題が語られているのです。マケドニア地区の教会には捧げ物をするときに、次の5つの心がけがあったことが記録されています。
①与える事は神の恵み(1節)
②満ちあふれる喜びが、惜しみなく施す富となる(2節)
③力に応じて、否、力以上に施しをした(3節)
④奉仕に加わることが恵みであると信じていた(4節)
⑤まず神に献身を誓い、次に人々への奉仕をした(5節)
「自分自身をまず、神の御心に従って、主に捧げ、また、私たちにも捧げたのである」(5節)
○経済的犠牲が霊的豊かさを生み、霊的豊かさが経済的祝福となった。「祝福の秘訣」
○与えること、捧げること、奉仕する事は自己中心性からの解放です。私たちは保身のために、心から捧げることができない弱さを持っています。その弱さから解放されるために聖霊によって与える恵みをいただかなければなりませんね。
それはイエス様の生き方にならうことなのです。
○マザーテレサは素晴らしい言葉を残しています。「私たちが人に差し出すものはどんなものでも、一片のパンでさえも、イエスは、それをご自分に差し出されたものとして受け取られます。あなたの手を通してイエスが働かれ、その時、あなたを力づけるキリストによって、あなたには力がみなぎります」
箴言には驚くべき御言葉があります。
「貧しい者を憐れむものは、主に貸すのだ。その施しは、主が償われる」(箴言19: 17)
「物惜しみしないものは富み、人を潤すものは、自分も潤される」(箴言11: 25)
惜しみなく施す、心からの献身と奉仕は軽々しく語ることができない深い真理です。しかしクリスチャンとして、この高い目標に向かって成長していきたいと思います。それは聖霊の働きであり、祈りの結実であります。
神様の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。
小田
彰