12月5日「神の恵み」 第二 コリント 12章1〜13節
アドベント第ニ主日を迎えました。
クリスマスは「逆説的出来事」と言われます。
①処女マリヤの受胎
②ヨセフの離縁の意図にもかかわらず天使の結婚の勧め
③ユダヤの律法に反しているにもかかわらず生まれる子は「インマヌエル。神我らと共にいます」と言われた。
世界の救い主の誕生は非常識な条件の中で実現した神の御業でした。
伝道者パウロは11章で、迫害の中で戦ってきた苦労話をしました。今12章では、不思議な霊的体験について語っています。天国まで行ってきたような経験をしたと言うのです。宗教家として最高の経験をしたと言っているのですが、人の前にはあたかも何かを誇っているように見えます。
「そこで、高慢にならないように、私の肉体に1つのとげ(棘)が与えられた。それは、高慢にならないように、私を打つサタンの使いなのである。」(12:7)
そのとげは発作的な病であるともいわれるが、一般的には眼病であったと思われます。
その病いさえなければ、もっと伝道ができたでしょう。
このことについて私は彼を離れさせてくださるようにと三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「私の恵みはあなたに対して充分である。私の力は弱いところに完全に現れる」。(12:8、9)
この1つのとげについて神の癒しを祈ったパウロの証は、彼の生涯における最も深い重要な証であったと思われます。
どんな人でも、どんな成功した人でも、どんな外面的に魅力的な人でも、必ず深いところに傷を持っています。「棘」と言うべきものでしょう。直感的には神の恵みがそれを取り去ってくださることが良いのですが、しかし聖書の神は、その棘を持ったままで、神の御助けを求めて祈る人に、絶大な力をお示しになるお方なのです。それが神の恵みです。
伝道者パウロは弱さの中で、祈りと信仰によって戦い抜き、神の栄光を表す道を体験しました。ですから彼は告白します。
「私が弱い時にこそ、私は強いからである」。(12:10)
あなたに与えられた1つのとげを感謝して受けることができますか?それを持って神に祈り、神に仕えることができますか?もしそれができるなら、神の恵みにより、大いなる力が与えられるでしょう。これが「逆説的真理」なのです。
キリスト教詩人河野進牧師(1904-90)の詩に次のような言葉があります。
病まなければ、捧げえない祈りがある
病まなければ、信じえない奇跡がある
病まなければ、聞き得ない御言がある
病まなければ、近づき得ない聖所がある
病まなければ、仰ぎ得ない聖顔がある
おお、病まなければ
私は人間でさえもあり得ない
弱さの中にこそ神の力を見ることができるという真理を聖霊によって体験したいものです。
神の祝福と慰めが豊かにありますようにお祈りいたします。
小田 彰