2021.2.28

テーマ「新しい歌を」

聖書 詩篇 33:1〜22

 

 2月の1ヵ月間が守られたことを感謝しましょう。そして3月を期待しましょう。賛美に満ちた3月でありますように祈ります。

 詩篇33篇は、32篇の続きであると言われています。

「正しき者よ、主によって喜び楽しめ」(32:11)

「正しき者よ、主によって喜べ、賛美は直き者にふさわしい」(33:1)

 そうしますと、32篇はダビデの深い悔い改めの詩篇ですから、自分の罪を認め、神と国民の前に悔い改め、魂の

拘束から解放された時、彼の心の中に溢れ出た感謝の言葉、それは賛美となり、聖歌隊やオーケストラを動員して捧げる大いなる賛歌になりました。

「新しい歌を主に向かって歌い、喜びの声を上げて巧みに琴をかきならせ」(33:3)

 

 彼の喜びがどれほどであったかが想像されます。

深く苦しんだものだからこそ、深い喜びが与えられました。

 本当の賛美は、深い罪の呵責から解放されたものが捧げる歌です。

また自分の力では到底成し得ないことを、神が成してくださったという確信に満ちた時与えられる歌です。

また命までも失うかと思うような危機的な病から解放された時あふれ出る感謝の言葉。それが賛美です。

音楽が好きであるとか、賛美歌が好きであるというだけでは心からの賛美とはなりません。

深い救いの喜びこそ賛美の条件です。

 

「王はその軍勢の多きによって救いを得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。馬は勝利に頼みとならない。」(33:16、17)

 

深い神の愛を感じ、魂の救いを見出したダビデは、国王であり日々戦いの中にありましたが、勝利の条件は神の恵みであると言うことを知ったのです。

 悔い改めとは、罪の世に向かっている心を、神の恵みの世界に向きを変える回心ということです。

この方向転換ができたときに「新しい歌」が与えられるのです。

 

 ダビデのように優れた信仰者であったのになぜ愚かな罪を犯したか、それによって自分の愚かさと限界を知ったとき、神はなぜ彼を赦したかという疑問が残ります。

「神が許される時、神があなたを必要として、用いたいと願っているからです。」(L.B.カウマン)という言葉を見出して私も答えをえました。

 今私たちの前に十字架のイエスキリストが立っておられます。それは神の赦しの象徴です。

という事はすべての人に神は期待して、新しい歌を賛美する人として用いたいと願っているのです。

許された人々の大聖歌隊を見たいものです。

 皆様の1週間が感謝と賛美に満ち溢れたものとなりますようにお祈りしています。

小田 彰