2021.2.7

テーマ「嘆きを踊りに変え」

聖書  詩篇30:1-12

 

 緊急事態宣言延長により自由が丘チャペルでの礼拝ができませんが、信仰により、祈りにより、御言葉によりしっかりとつながって祈り続けて参りましょう。

 「あなたは私のために、嘆きを踊りに変え、荒布を解き、喜びを私の帯とされました。」(詩篇30: 11)

 原意においては、嘆きとは胸を叩く仕草であり、踊りとは両手を広げて神をほめたたえる仕草です。苦しみの中で捧げる祈りは決して無駄ではない。祈りは神に届き、必ず答えが与えられる。これは詩篇30篇のメッセージです。

 この背景にあるダビデの苦しみが何であるかについては多くの学説があります。彼自身の重い病気もありました。息子アブサロムの反逆もありました。国家を襲う敵の攻撃もありました。他にも考え得ることがありますが、それは死を意識するような極限的な悩みであったと思われます。「あなたは私を引き上げ」と言う言葉が2回使われていますが、「引き上げる」という言葉は苦難の中に沈んでいたものを引き上げ、暗黒の中にいたものを引き上げる神の恵みを指しています。「あなたがみ顔を隠されたので、私はおじ惑いました」(30: 7)長年信仰を持っていても祈りが空を打つことがあります。神様が遠くに行ってしまったような、私の祈りを無視しているような感じを持つことがあります。それは信仰生活の危機です。しかしそこから目覚めて新しい祈りの力を与えられるのです。

 「夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る」(30: 5)

 先週木曜日2月4日午前8時にワシントンで大統領国家祈祷会がありました。オンラインで夜10時に私も参加しました。10人の方々がお祈りしましたが、バイデン大統領が最後に祈りました。図らずもその祈りの中でこの御言葉が語られたのです。直面している国内問題、コロナ問題、中国を念頭に置いた軍事問題、そして世界に満ち溢れている分断やエネルギーの問題など様々な課題を思う時行き詰まりを感じます。しかし「朝と共に喜びが来る」という希望に向かって協力してください、とのメッセージでした。私は感銘を受けました。

 1800年代前半から中国の奥地に伝道した宣教師ハドソンテーラーをご紹介します。17歳のときに信仰に目覚め、中国宣教に献身しました。しかし財源もなく、言葉もわからず、当時は電話や手紙、銀行振り込みなどもかなわない時代でした。誰もが不可能と思われる仕事にチャレンジしました。何度も深い挫折を味わいました。一旦帰国して5年間何もできないような行き詰まりの谷間を通りました。しかし彼の働きによって今日全世界に2000人の宣教師を送る最大の団体ができています。彼の祈りについての名言があります。

Impossible

Difficult

But

Done

どのような働きでも不可能と思われる課題に遭遇します。しかし祈り続けていると困難ではあるが不可能ではないことに気づきます。さらに祈っていると不可能と思ったことが解決して、祈りが聞かれたという体験をすることができます。まさに万事完了という恵みです。

 詩篇30篇でダビデは祈りは聞かれるといいう経験を私たちに証しているのです。この「祈りの力」があなたにも与えられますように願っています。

小田 彰