テーマ「たといその人が倒れても」
聖書 詩篇 37:1〜40
「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。
たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることがない。
主がその手を助け支えられるからである。」(詩篇37:23、24)
この詩篇は40節ありますがタイトルは「ダビデの歌」のみです。
しかしダビデの死の3年前、BC1017年に書かれたのではないかと思われていますが、彼の一生を振り返っての証であり、後のソロモンに対する遺言であるともいえます。
その意味で宝石のような貴重な言葉が集められています。
彼を陥れようとした敵は数々いましたがみな滅びてしまいました。
神に寄り頼み、従い続けることが結果的に大きな祝福であったことを証しています。
「人の歩み」と書かれている言葉は信仰によって生きる正しい人の歩みは神によって導かれると理解すべきです。
それが主に喜ばれる道なのです。
彼の人生には敗北もあり、失敗もあり、屈辱もあり、落胆もありました。
しかしそれで終わらなかったのです。
神の御手は彼を支え立ち上がらせたのです。
新約聖書で伝道者パウロはこう述べています。
「私たちは、四方から患難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰まらない。
迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない」(第二コリント4:8、9)
この言葉は詩篇37篇から来ているのではないでしょうか。
倒されても滅びないと言う信仰は、ユダヤ民族の歴史でもあります。
初代教会で迫害を受けた人々は何百万と命を落としましたが、そこから新しい教会が生まれ福音は世界に述べ伝えられてきました。
そして私たちも倒されても滅びない、それは神が私の手を助け支えてくれるからだという確信へと導かれるのです。
今週は受難週であり、金曜日にはイエス様の十字架の出来事があります。
早朝、処刑の裁判を受け、十字架を背負ってドロローサの道をゴルゴタの丘に向かって進むイエスの足は重く、疲れ果て、倒れてしまいます。
ただ観光のために訪れていたクレネ人シモンは無理矢理十字架を背負わされます(マタイ27:32)。
天の神はイエスに十字架の使命を全うしてほしいと願われて、神の手としてシモンを用いたのでしょう。
私たちの人生においても倒れることがあり、死を意識することもあるでしょう。
しかしそれで終わらない。
神はあなたを立ち上がらせてくださるのです。
今イエスキリストの福音が伝えられるために、教会の働きには大きな困難が山積しています。
しかしそれを支える手、それは神の御手であり、あなたなのです。
あなたこそクレネ人シモンなのです。
ダビデの証の言葉があなたの心の支えとなりますように祈ります。
28日より礼拝が始まります。
再び共に集まり祈ることができますように願っています。
小田 彰