テーマ「わが日の数はどれ程」
聖書 詩篇39:1〜13
「主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかを私に知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせて下さい。
見よ、あなたは私の日をつかの間とされました。」(詩篇39:4、5)
詩篇39: 4-13は英国国教会の式文の中では葬儀の時に読まれる箇所です。
人生が短いこと、そしてはかないこと、自分の無力さを知ったダビデの言葉は3000年経って、今日もなお大切な時に読まれているのです。
この詩篇は多分息子アブサロムの反逆の苦しみの中で書かれたと思われます。
ですから晩年の作と言うことができます。
自分がパレスチナにおける最大最強国家の国王であったとしても、神の前には一瞬の風のようなものだ。
人生とはなんと虚しいものであろうかと告白しています。
しかし苦しみに出会った時、神と対話し、さらに深く自分を見つめることができる人は幸いな人です。
責任を他に転嫁することなく、また自分の感情で怒り狂うこともなく、落ち込んでふさいでしまうこともなく、神様に訴え祈ることができる人は幸いな人です。
「主よ、私の祈りを聞き、私の叫びに耳を傾け、私の涙を見て、もださないでください。私はあなたに身を寄せる旅人、我が全ての先祖たちのように寄留者です。」(39:12)
ダビデの地上の栄光に満ちた生涯は、きたるべき神の国の永遠の栄光に比べれば無に等しいものでした。
ですから「あなたに身を寄せる旅人、寄留者」と言ったのです。
これは新約聖書ペブル人への手紙11:13、14「これらの人は皆信仰を抱いて死んだ。…そして、地上では旅人であり寄留者であることを自ら言い表した。
そう言い表すことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している」とのみことばにつながっていきます。
現在コロナ禍において大変大きな試練を受けています。
私たちは「時」と「交わり」を奪われたと言うことができるでしょう。
これから歴史が大きく動いて、中国とあるいは周辺国家の間に大きな戦争が起こるようなことがあるかもしれません。
私たちが生かされている時代の問題の中に巻き込まれることがあります。
しかし私たちの国籍は天にあるのです。地上では旅人であり寄留者なのです。
神の国に帰る日を待ち望んで今を生きているのです。
ダビデはこのような悟りに到達したのだと思われます。
J.S.アークライトは「天国の歌」の中でこのように言っています。
「出生の目的は死である。死の目的は新たな国に生まれいずることである。
これは神から定められた運命である」
ダビデは地上における言葉に表せない試練の中にあって、これは束の間であって、きたるべき天国を待ち望んでいるのだと言う信仰に立ち至ったのです。
列王記上第二章でこの世の命が終わりに近づいた時、息子のソロモンを呼んで命じました。
「その道を慎み、心を尽くし、精神を尽くして真実をもって神の前に歩むこと」を。
それは彼の一生を通して経験し、悟った真実の遺言であったのです。
そうだとすれば、キリスト者は「今の時を生かして用いなければなりません」ね。(エペソ5:16)
一瞬も無駄にすることはできませんね。
神様の祝福が今週も豊かにありますようにお祈りしています。
小田 彰