2021.4.25

 

ワンポイントメッセージ

テーマ「滅びの穴から引き上げて」

聖書 詩篇40:1〜17

 

 お元気でお過ごしですか。

再度緊急事態宣言が発出されましたので忍耐の3週間が始まりますね。

しかしこの時を祈りの時、学びの時、待ち望みの時といたしましょう。

 

 詩篇第40篇はダビデの詩ですが、彼の晩年の式典のための詩だと思われます。

歴代上24章にある祭司たちの選出による新しい礼拝の式典のためでした。

「私は耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、私の叫びを聞かれた。」(40:1)と言う冒頭の言葉はダビデらしい証です。

 

しかし6節から当時としては大変不思議な表現が出てきます。

 「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたは燔祭と罪祭を求められない。」(40:6)

ダビデは盛大な礼拝式で動物を殺して捧げ祈る習慣があるにもかかわらず、神はそれを求めていない。

求めておられるのは御心を行うことであると言っているのです。

 

この部分が新約聖書へブル人への手紙10章5節以下に取り上げられています。

当時のユダヤ教の神殿で動物を殺して捧げても人の罪は赦されない。

しかし罪を除き清めるためにイエス・キリストが一度だけ十字架にかかって犠牲となられたと言っています。

それが福音なのです。

 

詩篇40篇にキリストの十字架の意味が隠されています。

 「数えがたいわざわいが私を囲み、私の不義が私に追い迫って、ものを見ることができないまでになりました。」(40:12)

これは当然ダビデが受けた周囲からの攻撃を意味していますがきたるべきメシアの受難の姿であると解釈されてきました。

 

それはイザヤ53章に書かれている通りです。

 「彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ」(イザヤ53:5)

 

詩篇40篇にイエスキリストが鞭打たれ、卑しめられ、ついに十字架にかけられた苦難の物語が予言されています。

それ故メシア詩篇と言われるのです。

 

 旧約聖書を読みながら新約聖書のイエスキリストを見つけることができると聖書全体が立体的に迫ってきます。

 「私は貧しく、かつ乏しい。しかし主は私を顧みられます」(40:17)

 

全能の神の力と栄光を持っておられた方が貧しく乏しい姿に降ってくださいました。

ダビデは神により頼む人生の素晴らしさを歌い、結果的に人生の勝利者となる道であると証します。

そしてどんな小さなものに対しても神は顧みていて下さると言うのです。

 

この言葉を新約聖書のペテロは第一ペテロ5:7で引用しています。

「神はあなた方を顧みていて下さるのであるから、自分の思い煩いをいっさい神にゆだねなさい」

この御言葉を今日のメッセージとしてお受け取りください。

 

神様はあなたのことを見、心配し、いつでも助けの手を差し伸べようとして備えていてくださいます。

信じて進むことができますように。

祝福をお祈りいたします。

小田 彰