テーマ「生きる望み」
聖書 IIコリント1:8〜14
迫害者サウロから、伝道者パウロに変わった彼の働きは、イスラエルの国内ではなくローマ帝国下における地中海沿岸の町々への異邦人伝道でした。AD52年から53年の1年半をコリントの町で過ごしました。コリントは地中海に張り出すリアス式の地形に囲まれた港町としては最良の都市でした。東西の文化が交わり、大型劇場や大学や歓楽街が発展していました。ギリシャ文化の揺籃期にありました。伝道者パウロはコリントに福音を伝えることがギリシャ世界全体に影響を及ぼすことを知っていたのでしょう。当然そこにはユダヤ人街がありました。エルサレムで死なれたイエス・キリストのニュースが伝わっていました。パウロはそのお方が約束のメシヤであることを論証したのです。たちまちクリスチャンの1団が生まれ、コリント教会が形成されていきました。わずか1年半の伝道の後彼はエペソへ移動します。
エペソ滞在3年の間に大きな迫害と困難に遭遇します。しかし彼の気持ちはコリントの教会の人たちの成長の祈りと、再び彼らに出会い、直接神の言葉を伝えたいと言う願望でした。
もう一つはコリント教会の中に、エルサレムから来た新たな指導者たちの影響もあって、パウロが本当の使徒ではないと言う批判があったのです。
コリント第二の手紙はこのような思いの丈を述べるために書かれたと言われています。
今日のテキストでは
①いかに多くの迫害と、困難を乗り越えてきたか。それは神がパウロを選び派遣してくださったことの証であること。
②死を覚悟するほどの試練の時自分の力ではなく神により頼む信仰に導かれてその結果救い出されたこと。
③これまで助けてくさった神はこれからも助けてくださり、コリント教会の人々も助けてくださるであろう。
「私たちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせてくださる神を頼みとするに至った。」(1:8、9)
ここで語られている迫害は使徒19章のエペソのアルテミス神殿事件かも知れない。また第一コリント15:32の猛獣との格闘を意味するかも知れない。「生きる望みをさえ失う」とは逃げ道が見つからないと言う意味です。「死を覚悟し」とは死刑を宣告されると言う意味です。絶体絶命の窮地に陥ったパウロは、自分の学歴や血筋や、社会的地位などはもはや頼むことができず、ただひたすらにイエス・キリストを甦らせた神を信じ寄り頼む祈りへと導かれました。
しばしば試練によって信仰は深められ、火の通った確信に導かれるものです。その意味で困難を退けてはなりません。むしろ祈りつつ立ち向かうとき、これまでにない高い次元の信仰者へと引き上げられます。
シェイクスピアのマクベスという劇の中で語られた名言があります。
「あの人は、生きているその日その日を死んでおられた。」
まさにイエス・キリストの生涯であり、パウロ自身の生き様でもありました。(第一コリント15:31)
試練の中で祈りが昇華される時、自分が消えてひたすら神のみ顔を見ることができます。
はからずも第二コリント4章においてこの信仰を大胆に語っています。
「四方から患難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。」(4:8、9)
このような信仰を持って1週間を力強く歩まれますようにお祈りいたします。
小田 彰