テーマ「キリストの愛」
聖書 第二 コリント5章11〜15節
お元気でお過ごしでしょうか? 日本列島が豪雨の中で洪水に見舞われている1週間です。東京においても災害が起こることが心配されています。皆様の地域においても災害から守られますようにお祈りいたします。
また今日は終戦記念日でもあります。私が戦後生まれのために、生の戦争体験はありませんが、両親の生活や特にキリスト教会が戦時中に受けた迫害などを通して、この日を重く受け止めています。平和を作り出す者の道を模索してまいりましょう。
今日のテキストには非常に強烈なパウロの証の言葉が並べられています。
「もし、私たちが気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなた方のためである。」(5: 13)
福音を伝えるために気が狂っていると言われるなら言わせておきましょうと言っています。
彼の信仰の動機はイエス・キリストの十字架の愛による感動でした。
「なぜなら、キリストの愛が私たちに強く迫っているからである」(5: 14)
いかなる苦労も、迫害も、身内からの冷たい言葉も、イエス・キリストの愛を感じているから少しも苦しいとは思わない。イエス・キリストの愛に感動し続けている私には、すべての事は恵みであり、すべての事は未来のプラスを生むことであると信じているのです。
「生きているものが、自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためである」(5: 15)。自分のためにではなく、主のために生きる事は深い聖霊の取り扱いを必要としていますね。
今日のテキストの中心は「キリストの愛」です。
私は最近日本のキリスト教会のリバイバルの立役者となった中田重治牧師のことを考えています。幼い頃から粗暴な性格であったため、母親が弘前メソジスト教会に連れて行きました。先にクリスチャンとなった兄の影響もあったと思いますが、18歳の時洗礼を受けました。その後伝道者を志し、今日の青山学院神学部に進みますが、神学的な議論に関心がなくもっぱら柔術に励みました。その結果卒業することができず退学となりました。本多学長の配慮で仮の伝道者免許が与えられましたが、北海道や択捉の伝道では挫折し、弘前の教会に休暇をとって戻っていました。そこで小館かつ子という女性に導かれ、牧師の配慮で結婚することになります。
性格的にもムラの多い、激情的な伝道者重治に対し彼女はどれほど祈ったかしれませんが、青森県大館教会時代に、「自分の肉の力ではだめだ。聖霊のバプテスマを受けるためにアメリカに行きたい」と言われたとき、彼女は密かに自分の持ち物や着物を売って現金を作り「これで行ってください」と励ましたと言われます。その時幼い中田羽後(私の恩師)がいましたので、日々の留守宅生活はどれほど貧しかったかということが想像されます。
この中田かつ子の献身的な信仰と祈りがなければ中田重治の後の働きはありませんでした。
「神のために非常識なほどまでに信仰を持つことができるか?」と言う問題提起がありますね。
現代生活の中においても、個人的な決断や行動においても、大胆にキリストを選択することができますが、そこにはキリストの愛による感動がなければなし得ません。
この御言葉があなたの信仰のレベルアップ、あるいは成長のために力強いアドバイスとなりますように願っています。
今週もあなたの部屋の礼拝に聖霊が満ちてくださいますようにお祈りしています。
小田 彰