2022.12.11

「信望愛主」

テーマ「大祭司なる神の子」

聖書 へブル 4章12〜16節、ルカ 1章46〜56節

 

「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主なる神を讃えます」(ルカ1:36、37)

 

と処女マリヤは、み使いの受胎告知を感謝して受けました。しかしなぜマリヤは「この卑しい女をさえ心にかけてくださいました」(1:18)といったのでしょうか。子供を宿すことができないエリザベスならばわかります。しかしまだ若いマリヤにとって赤ちゃんの誕生は喜ばしいけれどもそんなに歴史的なこととは思わないはずです。

 

このマリアの賛歌(マニフィカト)はサムエルの母ハンナの歌です。それは自分の幸せと言うよりも民族と国家に対する神の特別の慰めのメッセージだったからです。

 

マリヤの胎から生まれてくる子供は、大祭司となるべきお方だったのです。

 

「さて、私たちには、諸々の天を通って行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、私たちの告白する信仰を固く守ろうではないか」(4:14)

クリスマスに誕生した赤子は、天使たちを従え神の右にいますイエスキリストでした。

 

①大祭司は単なる礼拝を執行する役割ではなく、民族の罪の許しを神に求めて取り成す器でした。無数の祭司の中でただ1人大祭司は国家的な使命を果たしたのです。旧約聖書においてはイスラエル民族は全世界の人々の大祭司になるべき民であると言う誇りを持っていました。私たちクリスチャンも私たちの社会における大祭司の役割を負っています。しかしこの大祭司は全世界の救い主イエスキリストご自身でありました。

 

②この大祭司は「罪は犯されなかったが、

すべてのことについて私たちと同じように試練に遭われた方」でした。

(4:15)

 

③ですから私たちは問題にぶつかった時、必要に迫られた時、時を移すことなく一切の遠慮も心配もなく神に祈り求めるべきなのです。

「私たちはあわれみを受け、また恵にあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(4:16)

 

私たちはいつか神の御前で、審判を受ける日を迎えます(4:13)。悪意でしたことも、無意識にしたことも、心が弱くて信仰を失ったことも、愛の欠如も、一生を振り返って様々な愚かさと過ちについて神の前に言い開きをしなければなりません。その日あなたの弁護人として仲介してくださるお方は誰でしょう?それは大祭司である神の子イエスキリストです。彼はご自身の血潮を流し、十字架で命を与えて、私たちのために執り成してくださいました。

 

しかしその恵みは最後の審判の時の弁護人であるばかりではなく、日々の生活のために祈りを天に届けてくださる仲介者イエスキリストなのです。

 

このお方が誕生されたのですから、マリアとともに「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を讃えます」と賛美しましょう。メリークリスマス

❗️

アドベント第3週に、あらゆる生活の問題のすべてを、大祭司であるイエスキリストに委ね祈って参りましょう。

豊かな祝福が与えられますようにお祈りしております。

小田 彰