「信望愛主」
テーマ「へりくだる者」
聖書 第一 ペテロ 5章1〜5節
いよいよペテロ第一の手紙も最終章に入ってきました。
「そこで、あなた方のうちの長老たちに勧める。」(5:1)
長老は今日で言えば牧師ですし、神の言葉を語ることを託された人と言うことができるでしょう。
ウクライナの戦況をみても、それぞれのグループのリーダーが精神的にも技術的にも大きな責任を持っているのだろうと思われますね。
群を掌握しているばかりでなく、前向きに前進していなければなりません。
ですから、「あなた方に委ねられている神の羊の群れを牧しなさい。」(5:2)
それは自分が権限を振るうことができる所有物ではなく、神よりの預かり物です。
大切な羊たちです。
ですから愛を持って、誠実を持って、自発的に、丁寧に育てていかなければなりません。
指導者の資質が問われます。
結構横暴な指導者もいたのでしょう。
また教会の群れの中で、自分にとって利益をもたらす人とそうでない人を区別したりした人もあるのでしょう。
そのような事はどのような団体においてもあるものです。
しかし教会の中ではキリストの模範に従わなければならないのです。
そんなことを言わなければならなかった監督ペテロの気持ちはどんなに寂しかったでしょうか。
まさに「悪魔の仕業」なのです。
悪魔はロシアの戦争のような大きな業にも介入しますが、教会の組織や人間関係の中にも毛細管現象のように入り込んでくるのです。
(エペソ6:12)
実はヨハネによる福音書21章で、復活のイエス様がペテロに現れ、「私の羊を飼いなさい」と、三度言われたのです。
イエス様が夜通し裁判されている時、広場で焚き火をしている側を通られました。
そこにいた女に、「お前もあの男の弟子だろう」と言われた時、三度知らないと否定してしまったのです。
ですからガリラヤ湖畔で復活の主が再び「あなたは私を愛するか」と3回問いただされ、「私の羊を飼いなさい」と言われたのは、彼にとっては悔い改めの証であり、大変恥ずかしい思い出であり、それでも許してくださったイエス様に対するいとおしい思いが込められています。
教会の若き指導者たちの愚かさを知りながら、「あなた方に委ねられている神の羊の群れを牧しなさい」と言われたのです。
「神は高ぶるものを退け、へりくだるものに恵みを賜うからである。」(5:5)
さてここで「謙遜であれ」と言われた言葉の真意は何か? それは十字架経験であります。
自分の罪を深く認め、イエス・キリストの十字架の許しの前に涙を流し悔い改め、新しく生まれ変わったものとして生きたものの中からでなければ、本当の長老は生まれないのです。
その意味で現代の日本の教会においても、「キリストの苦難の証人であり、いつでも栄光の殉教をすることができる」ような指導者が求められているのです。
この御言葉を教会の指導者のための言葉と受け取らずに、一人ひとりの信仰生活の生き様に生かしていただきたいと思います。
神様がそのような人の周りに、恵みあふれる奇跡を起こしてくださるに違いないと祈っています。
小田 彰