「信望愛主」
テーマ「聖霊の力」
聖書 使徒行伝 1章1〜11節
来週の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。そこで6月も引き続いて聖霊の働きについて学びます。
聖霊はしばしば火にたとえられます。旧約聖書エゼキエル書においては水の流れにたとえられています。しかし三位一体の神であって、父なる神、子なる神と同一のお方であるとするならば、それは人格を持ったお方なのです。そして私たちは、信仰を求め始めたその初めから、今日に至るまでの道筋が、実は聖霊によって導かれ、教えられ、助けられてきたのだということに気づく必要があります。
昇天を前にして主イエス・キリストは弟子たちに語られました。
①「かねて私から聞いていた父の約束を待っているが良い。」(1:4)
それは何か事件が起こることを待つのではなく、慰め主であり、助け主であるお方が来てくださるのを待つのです。それは尊いお方との出会いであり、そのお方と出会わなければ私たちの信仰はもはや空洞化して一歩も進めないのだということなのです。
②「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなた方はまもなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(1:5)
私たちが信仰告白をする時、そのしるしとして水のバプテスマを受けます。ヨハネもイエス・キリストにバプテスマを授けました。しかし今イエスは、外側のしるしである水のバプテスマではなくて、心の内側から造り変える聖霊のバプテスマが与えられると預言されました。人格的な神の霊が私たちの内側に宿るのです。それによって私たちは日々自然に神と共に歩むことができます。
③「ただ聖霊があなた方に降る時、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てにまで、私の証人となるであろう」(1:8)
それでは聖霊によって与えられる力とは何なのでしょうか?
聖霊の力とはキリスト教の本質に関わることなのです。
第一に、私たちが救われ、内面が清められ、日々歩んでいくための個人的な原動力です。
第二に、ペンテコステ以後、特別の人物だけではなく、すべての人に注がれ、教会の共同体に注がれるようになりました。それは教会の働きの全てに関わる原動力です。それはエルサレムから始まって全世界に及んでいます。
第三に、今全世界で進められているすべての神の御業の原動力です。ウクライナ戦争について、アジアの平和について、中東問題について、世界の経済や戦争について、ウィルスの拡大や病気について、この地球上のすべての業の中になされる神の御心は聖霊によってなされていきます。
そこで今私たちが空気を呼吸しているように、聖霊の働きによって生かされているのだということに気づくことが、ご聖霊があなたの人生に働いてくださる秘訣なのです。
このようなお方を待ち望みましょう。もし既に心の内に宿し、また満ち満ちていて下さるならば、感謝して賛美しましょう。聖霊の働きがある所には、イエス・キリストに対する高らかな賛美が聞こえてきます。
神様の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。
小田 彰