2023.1.22

「荒野花咲」

テーマ「ひとりのみどり子」

聖書 イザヤ 9章1〜7節、マタイ 4章12〜17節

 

 

ひとりのみどり子が我々のために生まれた、ひとりの男の子が我々に与えられた。まつりごとは、その肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。(イザヤ9: 6)

 

今日のテキストはクリスマスによく読まれるところです。「ひとりの男の子」が国家にとっても、世界の人々にとっても救いのしるしとなるという預言の言葉です。先週は7章、8章からインマヌエルという名の男の子の誕生が国家の救いの印なることを学びました。その方の誕生がどういう意味であるのかということをこの9章で述べているのです。

そのお方の誕生によって全世界に平和が来ることを預言しています。

「暗闇の中に歩んでいた民は、大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」(9: 2)

①暗闇の中に歩んでいた民とは、イスラエル北部のガリラヤ地方に住んでいた人々であり、かつてアッシリヤによって滅ぼされて、奴隷となった人々、また、あらゆる雑種民族の中で生活してきた人々でありました。彼らの祖先の名前を挙げるならば「ゼブルンとナフタリ」であり、イエス・キリストの時代にはガリラヤ湖畔のカペナウムを中心とする地域でした。

②しかし、聖書全体のメッセージから解釈するならば、神の光を持たない、罪の支配の中にある人々のことです。私たちの上に希望の光が与えられるのです。

③それは御子イエス・キリストの誕生によるのです。そのお方は9章では、大能の神、平和の君と書かれていますが、53章では受難のしもべとして書かれています。パームサンデーにろばの子に乗って、エルサレムに王の如く入城したイエスは、金曜日には十字架上で殉教されました。

このお方の栄光の輝きが、闇の中に歩んでいた人々の希望となり、今日も罪の中にある私たちの救いのしるしなのです。

 

イザヤがBC 8世紀にユダの人々に預言した言葉が、実は700年後にお生まれになったイエス・キリストを意味しています。

さて、このような歴史を貫いて、救いの計画を進めていて下さる神は、今日も私たちのために生きて働いていて下さるのです。ナザレのイエスから始まった福音の輪は、単にユダヤ民族だけではなく、全世界に広がってきました。私たちは、この福音の拡大の一端を担っているのです。という事は、私たちの日々の生活と、信仰の戦いは、この神の計画の一部なのです。

 

「万軍の主の熱心がこれをなされるのである」(イザヤ9: 7)

この言葉は広く用いられてきました。このような福音宣教の御業は、神の熱意が実現のエネルギーです。特別な力をいただいたリーダーの熱意によってなされるのではなく、天から注がれてくる神の力によってそれは実現するのです。

 

数年前、死刑囚、久田徳三さんのことを取り上げました。その生い立ちも、若い時からした様々な悪事も、ついに殺人を犯して、死刑囚となったことも、まさに暗闇の中に歩いていた人でありました。しかし、獄中でイエス・キリストの救いに預かり、彼の生涯は闇から光へ変えられました。そして、死刑台に上がって、召されるその日も、復活と天国を夢見ながら輝かしく召されました。

 

数日前、御茶ノ水の集会でハドソンテーラーの生涯を語りました。17歳で中国奥地伝道のために献身し、3年間の薬剤師の勉強後、ロンドンの貧民街に入って、孤独な祈りの時を持ちました。今日のような電話もメールもない世界に、単身入っていき、因習のつよい社会で人々に福音を伝えることができるだろうか。毎日訪ねてくる物乞いにお金や食べ物を与えました。ある日一人の男がお金を求めてきました。彼の財布にはワンコインしかありませんでした。彼は心の葛藤を覚えながらそれを与えたのです。なんと翌日ポストに一通の手紙が入っていて、そこにお金が入っていたと言うのです。誰にも居所を知らせず、自分がしようとしていることも伝えていなかったのに、誰かが祈り支えようとしてくれたのです。その時、たとえ中国の奥地に行っても、神は私を支えてくださるという確信を持ったと言われます。彼の働きは、それから200年経って全世界に2000人以上の宣教師を派遣する世界最大の団体となりました。彼は私がするのではなく「万軍の主の熱心なこれをなされるのだ」という確信が与えられていたのです。

 

今週あなたの生活の全ての必要、問題の解決、病の癒し、あらゆる思い煩いを祈りに託して神に訴えましょう。神ご自身が、イエス・キリストを通して、あなたを支えてくださるでしょう。

小田 彰