「荒野花咲」
テーマ「主を知る知識」
聖書 イザヤ 11章1〜10節、第一コリント 1章26〜31節
「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1: 7)とはソロモンの言葉です。偉大なダビデ王の後継者であったソロモン王は、最も大切な知識は、主を恐れることであると、箴言の冒頭に述べました。ソロモンから約300年の後、イザヤの預言がなされました。どんなに知識があっても、権力があっても、財力があっても、神を恐れないことのために国家が滅びてしまうのです。
さて、今日のテキストは11章です。そこに登場する偉大な王は、かれの上に主の霊がとどまり、深い知恵を有し、主を知る知識と主を恐れる霊を持っているインマヌエルと呼ばれる幼子、9章の平和の君、それは聖霊に満たされたイエス・キリストです。
「エッサイの株から1つの芽が出、その根から1つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知識と主を恐れる霊である」( 11: 1.2)
「狼は、小羊と共に宿り、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若獅子、肥たる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは、食い物を共にし、牛の子と熊の子と共にふし…」。(11: 6-9) この長い詩的な部分は、弱肉強食の動物界にすら、もはや争いがなく、平和が来ることが表現されています。
さて「主を知る知識」についてお話しをしましょう。ヘブル語の「知る」(ヤーダ)は本来見るという意味です。私たちは見てはいるのですが、悟らないのです。私たちに気づかせ悟らせるのは聖霊の働きです。
キリスト教は天啓宗教と言われます。
神を知るには四つの方法があると言われます。
①大自然を通して
②歴史を通して
③聖書を通して
④キリストの生涯と言葉を通して
私たちは神の存在と御心を知ることができます。しかし、それを私たちの心の中に強く示し教えるのは聖霊の働きです。
パウロはコリント人への第一の手紙一章で、神の知恵について語っています。そしてその中心がイエス・キリストであると述べています。
「キリストは、神に立てられて、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」(第一コリント1: 30)
私たちが救いに至る唯一の道は、イエス・キリストを知ることです。イエス・キリストによって神に近づく時、何をしなければならないか、何をしてはならないかを知ることができます。その結果、この世の大きな試練の波の中で、正しく生き抜く力が与えられるのです。
「水が海を覆っているように、主を知る知識が地に満ちるからである」。(11: 9)
旧約聖書において、神を恐れることについて、新約聖書においてイエス様は、
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすればこれらのものは全て添えて与えられるであろう」(マタイ6: 33)と言われました。
神を第一とする生活を通して祝福をいただきましょう。そして寒波の中にあっても、暖かい神の愛に一歩近づくことができますよに。 小田 彰