2023.11.12

「荒野花咲」

テーマ「二倍の賜物」

聖書 イザヤ 61章4〜11節、第一ペテロ 2章1〜10節

 

先週は「第五の主の僕の歌」と言われる部分から、聖霊に満たされたイエス・キリストが、捕えられていたものを解放し、悲しむ者たちに喜びの賛美を与えるという素晴らしいお約束を見せていただきました。

それに続く4節から11節には新しく生まれ変わった神の民の素晴らしい働きが描かれています。「新生の恵み」と言われるところです。

バビロンに捕えられていた奴隷の民であったイスラエル民族が、祖国に帰って国を再建し、世界中の人々がその事業を助け、彼らに仕えるという情景が語られているように見えます。しかしそのような事は未だ実現していません。

パウロはクリスチャンたちのことを新しいイスラエルと言いました。イエス・キリストの御救いに預かり、罪赦され、神の子供とされた人たちが形作る社会こそ新しいイスラエル国家です。

ここに素晴らしい二つの約束があります。

①「しかし、あなた方は主の祭司ととなえられ、我々の神の役者と呼ばる。」(61:6)

不信仰と罪のゆえに、奴隷の民族となった人々が、今主の祭司となるというのです。祭司とは、神と人との間に執り成しをするものであり、人と人との和解の道を祈り求める人です。

今パレスチナで起こっている戦争はますます悪化しているのですが、主の祭司とされたキリスト者は平和を作り出すために、執り成しの祈りを捧げるものなのです。なんと尊い選びでしょうか。

 

②「あなた方は、先に受けた恥にかえて、ニ倍の賜物を受ける」(61:7)

「ニ倍」は、原語では「完全な」と言う意味を持っています。過去の罪も過ちも完全に赦される。また、父が2人の息子に相続をする時、長男には次男のニ倍を与えました。ニ倍とは相続権を意味します。

これは、私たちの過去のすべての罪の精算がなされるばかりではなく、神の子供たちとして、大いなる恵みを相続することを意味しています。

「過去の辱めに変えて、喜びを得る」というのです。

 

イエス様は「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」(ヨハネ3:3)と言われました。「新生」の必要ですね。

 

パウロは「誰でもキリストにあるならば、新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなったのである」(第二コリント5:17)と言いました。この新しい人への新生こそ、聖書が語る救いです。

 

第二次世界大戦が終わって、まもなく、若き伝道者ビリー・グラハムは、新生の必要を迫り、You must be born again!と語り、全世界のクリスチャンたちの信仰を奮い立たせました。そこに私たちの信仰の原点があります。

 

「ニ倍の賜物」が与えられ、「主の祭司」とされた私たちの恵みを思い返し、感謝と賛美を捧げましょう。

 

「あなた方は、以前は神の民でなかったが、今は神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのないものであったが、今は、あわれみを受けたものとなっている」(第一ペテロ2:10)

 

主の祝福された民として新しい一週間を歩まれますように心からお祈りしています。

小田 彰