「荒野花咲」
テーマ「シオンの義」
聖書 イザヤ 62章1〜5節、ルカ 19章41〜46節
「シオンの義が、朝日の輝きのように現れいで、エルサレムの救いが燃えるたいまつのようになるまで、私はシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない。」(62:1)
大変強い表現で預言者イザヤはエルサレムのために祈っています。それは今日の地理上のエルサレム、あるいは民族としてのイスラエルを指すのではなく、きたるべき神の御国の到来を待ち望んで祈っています。
英国の偉大な聖書講解者であるマシュー・ヘンリーによれば、「教会のための祈り、教会のための働き」であると注釈しています。
ここに3つの重要な内容があると思います。
①エルサレムの栄光
②イエス・キリストによる平和
③神の私たちのための救いの完成
大変重いテーマですが、今イスラエルが戦争をし、毎日私たちのニュースを賑わしている時、テレビのコメンテーターでさえも、エルサレム問題を語っている時、クリスチャンである私たちは聖書がどう語っているかを知るべきであります。
この言葉は、預言者イザヤ自身の言葉でありますが、後のイエス・キリストの言葉でもあり、そして私たち現代のクリスチャンの言葉でもあります。神の教会が確立されるために、栄光の輝きを見るために「黙することなく、休むことはありません」。
イスラエルは世界のストップウォッチと言われます。そしてエルサレムは「麗しい冠」であり、神の「花嫁」であります。エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地と言われます。多民族がその狭い領域に集中して集まっています。そこには数千年にわたって争いが続き、血が流されてきました。しかしこの都は神の目から見て
尊い宝石をちりばめた冠のようなものなのです。
この地に平和が来る時、世界に平和が来ます。
この地に平和が来る時、イエス・キリストが再臨します。
この地に平和が来る時、全世界は喜びに満たされるのです。
そのような日はまだ来ていません。その日が来るために私たちは休むことなく語り、休むことなく祈り、休むことなく働くのです。
さて、マシュー・ヘンリーが言うように、エルサレムが今日の教会であるとしたならば、私たちはこの教会が神の花嫁にふさわしく整えられるために、祈り、働かなければなりません。聖書を学ぶことも、賛美練習することも、建物を建てることも、献金することも、あらゆる方法をもって福音を伝えることも、私たちは休むことなく果たさなければなりません。
イエスがエルサレムの都の城壁を見ながら涙を流されました。
いよいよ都の近くに来て、それが見えた時、そのために泣いて言われた、「もしお前もこの日に平和をもたらす道を知ってさえいたら… .」。(ルカ19:41.42) 紀元70年にはエルサレムはローマによって完全に破壊されました。そしてイエス・キリストは、エルサレムで十字架にかけられたのです。
今日も、イエス・キリストは、日本の教会のために、私たちのために涙を流して祈っておられます。神の平安が共にありますようにお祈りいたします。
小田 彰