テーマ「一人のみどりご」
聖書 イザヤ 9章1〜7節、ルカ 2章8〜14節
アドベント第三主日を迎えました。
ベツレヘムの家畜小屋に生まれたみどりごが、人類の救い主として、与えられた唯一のしるしであった事は驚きです。
ひとりのみどりごが我々のために生まれた、ひとりの男の子が我々に与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ9:6)
嬰児(みどりご)は3歳以下の子供、あるいは生まれたばかりの子供という意味です。イザヤ書7章14節で、男の子の誕生が救いのしるしであると語られ、その子の名はインマヌエルと言われ、今9章でひとりのみどりごと限定されました。イザヤの時代の王宮にも、イザヤ自身の子供たちにも該当する人はいませんでした。それどころか、そのみどりごは
①世界の政治を司る方
②不思議(名詞形 ペレ)と呼ばれ
③議士(助言者)
④大能の神(力ある神 エール)
⑤とこしえの父(アド 時間の無限の延長)
⑥平和の君(シャローム 平和)
であります。
これらの働きと名前を持っているのです。単なる神のしもべではなく、このみどりごが神ご自身であると宣言されています。
このような赤ちゃんの誕生は、イエス・キリストの他にありません。今日私たちが聖書を通して示されたイエス・キリストがこのようなお方であったことを知る事は大変重要な信仰の土台です。
さて、聖パウロは、罪と死はアダムから始まり、救いと永遠の命はキリストから始まることを大胆に宣言しました。
「アダムにあって、すべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあって、すべての人が生かされるのである。」(第一コリント15:22)
イエス・キリストの十字架と、復活が私たちの命の根源であり、希望であることが明白であります。それはイザヤ書のひとりのみどりごの中に約束されたことの成就です。
ですから、この幼な子の誕生日は喜ばしいのです。
ベツレヘムの野原で野宿していた羊飼いたち天使が言いました。
「恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなた方に伝える。今日ダビデの町に、あなた方のために救い主が御生まれになった。この方こそ主なるキリストでる。」(ルカに: 10:11)
いかに世界が暗闇に満ちていても、いかに私たちの人生に困難な問題が山積していても、このみどりごが誕生したことが希望であり、最後の解決策であることを信じて感謝しましょう。
小田 彰