「荒野花咲」
テーマ「主がお入り用なのです」
聖書 マタイ 21章1〜11節、イザヤ 62章10〜12節
今日は棕櫚の主日です。受難週に入ります。
主の受難の出来事と言葉は、聖書中の最も大切な記録であり、私たちの救いにとって最も貴重な鍵です。金曜日、には十字架にかけられ、日曜日には復活された主は、今「ホザナホザナ」と言う群衆に迎えられて、エルサレムに入城されます。
イエスと一行はオリブ山近くのベテパゲに着きました。それは「イチジクの家」を意味し、ベタニヤに近い村でした。イエスは、王として入城されるためにろばを用意させました。
それはゼカリヤ書9章9節の預言の成就です。
「シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたのところに来る。彼は義なるものであって、勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。」
「柔和」は新共同訳聖書では「高ぶることなく」と訳されています。
「向こうの村へ行きなさい。すると、すぐ、ろばが繋がれていて、小ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いて、私のところに引いてきなさい。もし誰かが、あなた方に何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そういえば、すぐ渡してくれるであろう」。(マタイ21: 2.3)
「弟子たちは出て行って、イエスがお命じになった通りにし、ろばと小ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(21:6.7)
ろばに乗ったイエス・キリストのエルサレム入城の出来事の主役はキリストですが大役を果たした脇役はろばでした。このろばを「主がお入り用なのです」と聞いて、即座に渡した隠れた弟子がいました。
神は福音の前進のために、「主の用なり」と言って、しばしば献身を求められます。ある人には持ち物や金銭を、あるときは奉仕を、あるときは最も愛するものを、そしてあるときは全生涯を捧げることを求められました。
シュバイツアーはアフリカのために、マザーテレサはインドのために、バックストンは日本のために、献身を求められました。
あなたもまた「主がお入り用なのです」と言われた時、すぐにお従いすることができるでしょうか。
かつて柘植不知人牧師(1873-1927)はバックストンの弟子であり、大変用いられた説教者でしたが、ある日、無力と信仰の渇きを感じ、語る力を失っていました。ふと書斎の棚の上に、かつて用いた油絵の具箱がありました。万一生活に困ったら絵でも描くかと思ったことがあったのか、それを庭に捨てて、打ち砕いてしまいました。神は彼の100%の献身を求めて、「主がお入り用なのです」と迫られたんでしょう。その時から、彼の説教には特別の力が与えられ、病人の癒し、そして様々な奇跡を見たと言われます。その結果、活水の群れが生まれ現在に至っています。
受難週に、お捧げする恵みの奥義が示されています。
捧げる恵みこそ、祝福を頂く道です。
神の祝福をお祈りいたします。
小田 彰