「荒野花咲」
テーマ「水の中を過ぎる時」
聖書 イザヤ 43章1〜7節、詩篇 66篇8〜12節
今日のテキストは聖書全巻の中で、最もつよい神の愛が示された言葉であると言っても過言ではないでしょう。
「あなたは、我が目に尊く、重んぜられるもの、私はあなたを愛するが故に、あなたの代わりに人を与え、あなたの命の代わりに民を与える。」(イザヤ43: 4)
第一義的には、バビロンに捕えられていたイスラエル民族に対して、ペルシャのクロス王を遣わし解放すると言う約束にも読めます。
しかし今、私たちの手の中にある聖書の御言葉として、それはあなたに対する愛の表現でもあります。
①神の目から見て尊い者であること。
②大事な役割を託された人であること。
③愛するが故に、いかなる代償をも惜しまないこと。
もちろん、最も大きな代償は、御子イエス・キリストが十字架におかかりになったことです。
私も55年の伝道者人生において、大変厳しい試練に出会ったことがあります。しかし、神が私を選び、私でなければ、できない仕事のために重んじてくださったことによって、孤独な日にも忍耐することができました。
イザヤ書43章7節は、私たちが造られた目的を示しています。
「私は、彼らを我が栄光のために創造し、これを作り、これを仕立てた」。(43: 7)
神の大きな愛が示され、私たちは造られた目的を確認しました。しかし、現実には多くの試練が待ち構えているのです。神の愛のご期待に沿うためには、炎のような苦難を通過していかなければならないのです。そこに神の愛の重さがあります。
「あなたが水の中を過ぎる時、私はあなたと共におる。川の中を過ぎる時、水はあなたの上に溢れることがない。あなたが火の中を行く時、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。」(43: 2)
厳しい試練はあります。しかし最後まで見捨てられる事はなく、守られると言う約束なのです。 この聖書の御言葉を語るものは、その重さによって打ちひしがれるほどです。しかし聖書の御言葉をそのまま、神様からのメッセージとして受け取ることができる人は幸いです。
第二次世界大戦直後、ノーベル文学賞を授与されたフランスのカトリック作家、フランソワ・モーリアックは、84歳で亡くなる少し前に自ら次のような墓碑銘を書きました。彼は、ヒットラーの迫害によって大変苦しめられました。言葉に表すことのできない悲しみを経験しました。しかし、すべては神の愛であると告白することができたのです。
私は幼な心に信じたことを、今もそのまま信じている。人生には意味がある。行き先がある。価値がある。1つの苦しみも無駄にならず、一粒の涙も、一滴の血も忘れられる事は無い。この世の秘密は、聖ヨハネの言葉に含まれているのだ「神は愛です」(ヨハネ第一の手紙、4章16節) 。
今神の目は、あなたを尊いものとして見守っていて下さいます。この愛を信仰によって受け止めていくことができますように願っています。
小田 彰