「荒野花咲」
テーマ「地の果てまで」
聖書 イザヤ 45章20〜23節、ローマ 14章6〜12節
「地の果てなる諸々の人よ、私を仰ぎ望め、そうすれば救われる。私は神であって、他に神は無いからだ」(イザヤ45: 22)
1974年9月に英国の神学校に入学しました。まず英語との戦いでした。その次に150人の学友の中に少なくても50カ国位の世界中から来ている人々との交わりでした。特に、アフリカの様々な部族から来ている人々の文化の違いに驚きました。1975年元日に、上記のみ言葉を読み強い感動を覚えました。私が信じたイエス・キリストは、単に私と私の家族や日本人のためだけではなく、アメリカや英国やヨーロッパの人々のためでもなく、全世界のすべての人々の救い主であったということに気づいたからです。そして、その日、私はすべての人に福音を伝えるという新しいビジョンが与えられました。
イザヤは神の不思議なご計画で、バビロンから解放されるために、ペルシャ王クロスが用いられたことを書いています。しかしこの22節から目を転じて、全世界のもろもろの民のために神は立っておられることを宣言しました。単にヤコブの子孫のイスラエル民族のためではなく、福音から遠いあらゆる民族のために、神の愛は注がれている事を強く宣言しました。そこには3つの真理があります。
①神は唯一であって、全世界のすべての人々の神である。
②自分を見ず、環境を見ず、「主を仰ぎみるべきこと」
③そこに「救いの鍵」があること。
特に「主を仰ぎ望む」ことについて思いめぐらしてみましょう。
全世界には様々な権力者がいて、また様々な神々が存在します。それは人類が神によって造られたことの証拠でもあります。見えない神を求めてそれぞれが神の像をイメージしてきたのです。そこで私たちは、生まれ育った環境の中で手近な神々に跪いてきました。しかし、宇宙全体の創造主はお一人なのです。
「主を仰ぎ見て、光を得よ。そうすれば、あなた方は恥じて顔を赤くする事は無い」(詩篇34: 50)逆境と試練の中でダビデは、何よりも主を見上げました。それが唯一の救いの手段だったからです。
「しかし、私は主を仰ぎ見て、我が救いの神を待つ。わが神は私の願いを聞かれる」(ミカ書7:7)長い試練の中にあって、様々な頼るべきものがあるでしょうが、じっと神の御助けのみを待ち望んでいる姿です。
さて「仰ぎ見る」とは、目を向けると言う意味です。自分を見たり、自分の弱さを見たり、自分を攻撃する敵を見たり、絶望と思われる未来を見ないことです。目を唯一の神に向けることです。
「そして、ちょうどモーセが荒野で、蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは、彼を信じるものが、すべて永遠の命を得るためである」(ヨハネ3: 14、15)
この御言葉が「仰ぎ見る」を最もよく示しているでしょう。民数記21章で、出エジプトしたイスラエル民族は、毎日のマナやうずらの肉では飽きてしまいました。その上、水も不足した時、モーセに対して激しく不平を言ったのです。すると民の中に毒蛇が現れ、多くの人がそれに噛まれ命を落としていきました。彼らはそれが神の裁きであったことを知ったのです。
その時主は、「火の蛇を作って、それを竿の上にかけなさい。すべての噛まれたものが仰いでそれを見るならば生きるであろう」(民数記、21: 8) それぞれの病状がどうであれ、信仰がどうであれ、ただ見上げる時癒され救われたのです。しかしそのような勧めを信じなかった人々は苦しみながら死んでいきました。ただ単純に見上げた者たちが救われたのです。
イエス様は、その出来事を取り上げて、ご自身が十字架の上にかけられることを預言されました。そして、十字架を仰ぐことによって、すべての人が救われることを約束されたのです。
この「見上げる」行為においては、いかに熱心であるか、あるいは信心深いか、あるいは多くの献金をしたとかなどは全く問題ではありません。客観的にキリストを仰ぎ見ることであります。それはキリストに注意を集中することです。
この御言葉は、私たちに信仰が単純であることを示しています。いろいろ議論をしたり、説明をしたり、言い訳をしたりする必要がありません。ただ見上げれば良いのです。それならば、全世界の諸々の国々の人々がイエス・キリストを信じることができますね。そこに救いの奇跡が起こります。神様が私たちにくださった単純明快な救いの鍵です。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12: 2)
今日、仰ぎ見るとは、祈ることであり、賛美することであり、感謝することです。
あなたの日々の生活が賛美に満たされ、何事でも祈り、いかなる環境も感謝する日々であるならば、あなたは主を仰ぎ見て生きているのです。必ずそこには勝利があり、救いがあります。神の恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
小田 彰