「荒野花咲」
テーマ「まだ知らない隠れた事」
聖書 イザヤ 48章6〜11節、エペソ 3章14〜21節
「私は、今から新しいことを、あなた方がまだ知らない隠れたことをあなたに聞かせよ。」(イザヤ48: 6)
「新しいこと」とは、イザヤ書の中に度々登場する特徴的な素晴らしい預言の言葉です。それは人間がまだ知らないことであり、また神によって隠されてきたことであったのです。
科学的なものの考え方とはこれまでの経験を集積して、そこから真理を手繰り出そうとするものです。しかし、預言の言葉は、我々が経験したことのない世界に神の御言葉によって導かれることです。
「あなた方は、先のことを思い出してはならない、またいにしえのことを考えてはならない。見よ、私は新しいことをなす。やがてそれは起こる、あなた方はそれを知らないのか。」(イザヤ43: 18、19)
この「新しいこと」とは、ペルシャの王クロスによって、バビロンが滅ぼされ、それによってイスラエル民族が解放されるという奇跡のことです。それは真の神を礼拝しない異民族であり、偶像礼拝者であるクロス王を神が用いた。それはなぜだったのか?それは常識では考えられない神の隠れたご計画でありました。民族にとっては、奴隷からの解放であり、まさに自由の救世主のようであったのです。それは想像を超えた素晴らしい出来事でした。
「先に成ったこと」(48: 3)「先に預言したこと」(40: 9)「先の事」(43: 18)これらの表現は、モーセによってイスラエル民族がエジプトから脱出したことを意味しています。「出エジプト」(Exodus )の4つの意味。
①出エジプトはモーセによってエジプトから出たことです。
②クロスをによってバビロンから解放されることです。
神は今イスラエルをバビロンから解放する奇跡を行おうとする時、もはやモーセによる出エジプトなどは忘れよと言っていのです。もっと素晴らしい「新しいこと」がなされるからなのです。
③イエス・キリストによって「古い人」が「新しい人」に変えられることです。悪魔の世界からの出エジプトです。
④この解放の原理は、現代に生きる私たちの生活における拘束、束縛からの解放にも適応する真理です。
ですから、私たちは信仰をしっかり持って、すべての問題について神が決済をしてくださることを信じて、祈り求めるべきです。聖書を通して神により頼むことが最善であり、他の何物にもより頼まないことがより良い結果を生むことを私たちは知っています。しかしそれができないことがあります。ですから、「あなた方はそれを知らないのか」(43: 19)と言われているのです。
イザヤが預言した「新しいこと」は、第一義的には、バビロンからの解放であるが、本質的にはキリストによる罪からの解放(古き人が新しき人に造り変えられること)であります。十字架による救いは、誰も予想し得なかった救いの道です。しかし、同時に、私たちの人生のあらゆる問題にも適応できる約束でもあります。
私は、「死」についても、私たちの知らない隠れた新しい意味があるのであると信じ期待しています。その意味で恐れる事はありません。
緊迫し、大変危険な状態に見える世界の動向も、私たちの知らない隠れた神のご計画があるのだと信じます。それは素晴らしい「新しいこと」なのです。
「どうか、私たちの内に働く力によって、私たちが求めまた思うところの一切を、はるかに超えて叶えてくださることができる方に、教会により、またキリスト・イエスによって、栄光が世世限りなくあるように。アーメン。」(エペソ3: 20 .21)
この御言葉によって、心に平安を持ち、未来に対して大きな希望を持つことができるように祈っています。
小田 彰