「荒野花咲」
テーマ「切り出された岩」
聖書 イザヤ 51章1〜6節、ローマ 4章1〜8節
「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、私に聞け。あなた方の切り出された岩と、あなた方の掘り出された穴とを思いみよ。」(イザヤ51:1)
聖書の神は、バビロンから解放されるイスラエル民族に対して、信仰のレッスンを与えようとしています。それは、神が先祖に対してどのように語りかけたかを思い起こす事です。いかに大きな恵みが与えられたかという歴史的体験を確認して前進することを求めています。
「あなた方の切り出された岩と、あなた方の掘り出された穴とを思い見よ。」
あなたはどのようにして選ばれ、どのようにして救われ、どのようにして今日の成長を見たかを確認せよと言うことです。神の恵みの御手はどのように動いたのか?
「私は彼をただ一人であったときに召し、彼を祝福して、その子孫を増し加えた。」(51:2)これはカルデヤのウルから選ばれたアブラハムが、サラと結ばれてイスラエルの祖先となったことを意味しています。小さなスタートでしたが、祝福の歴史は今日まで拡大してきたのです。
聖書の神は、常に過去、現在、未来について繰り返し語られます。
①過去は、小さく貧しいものであったこと。闇の中を孤独に歩いていたこと。しばしば悪魔の誘惑によって翻弄され、罪によって縛られていたこと。
②現在は、しかし神の愛によって、イエス・キリストの十字架の救いによって、罪赦され、生かされ、導きの光の中を歩いていること。
③未来は、戦いの多い日々ではあるが、魂の平安と絶対的希望によって、心が守られていること。問題の解決ばかりではなく、永遠の命が約束されていること。
過去を正しく振り返らない人について、パウロはこう言っています。
「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神として崇めず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心が暗くなったからである。」(ローマ1:21)
どこから切り出され、救われたかを思い返さない人の心は「虚しく、暗い」のです。
今日私たちクリスチャンは、どのようにして救われたかという証を、繰り返し思い返し、語っていく必要があります。それは、未来への力です。
そのような人に聖書は素晴らしい約束を書き残しています。
「主はシオンを慰め、またその全て荒れたところを慰めて、その荒野をエデンのように、その砂漠を主の園のようにされる。こうして、その中に喜びと楽しみとがあり、感謝と歌の声とがある。」(イザヤ51:3)
あなたの心の中に、この喜びと感謝の歌声が響き渡りますように祈っています。
小田 彰