2024.10.6

「内にいますキリスト」(コロサイ1:24〜29、エペソ3:5〜13)

 

新約聖書の中で、難解な表現、または奥深い真理を語っている箇所がたくさんあります。特にヨハネによる福音書、また黙示録にもありますが、コロサイ人への手紙には深淵な表現が多く書かれています。今日のテーマは「奥義」です。ギリシャ語ではミステリオンで、英語ではミステリーとなります。新共同訳聖書では「秘められた神の計画」と訳しています。それは聖霊によって啓示を受けなければ理解することのできない世界です。

「その言葉の奥義は、代々にわたって、この世から隠されていたが、今や、神の聖徒たちに明らかにされたのである。」(コロサイ1:26)

 

私たちが福音に遠い存在であったにもかかわらず、ある日、キリストの救いを受け入れ、信仰を持つことができたとすれば、それはまさにミステリーです。誰でも信じることができそうでいて、ごくわずかな人しかその真理に気づかないのです。

ですから、私たちの救いの体験も、神の奥義ということができるでしょう。

ただ、今日のテーマは、もう一段階深い世界があると言っています。

 

「神は、彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを知らせようとされたのである。

この奥義は、あなた方の内にいますキリストであり、栄光の望みである。」(コロサイ1:27)

 

パウロは、ここで選民イスラエル民族しか神に近づくことはできないと思われていたが、イエス・キリストによって誰でも、何人であっても、いかなる肌の色であっても救われる、神の子供とされる、天国に行けるという奥義を大胆に宣べ伝えています。

 

「内にいますキリスト」は「内住のキリスト」として、深い霊的経験の代名詞として使われてきました。教会に行くとか、神を信じるとか、キリストの言葉を実践するとか言う段階ではなく、私たちの魂(心)の内にキリストが常に住んでおられるという経験は、聖霊によって与えられる特別な恵みです。それを「聖霊のバプテスマ」とか「潔め」とか言って教えられたものです。

それはパウロの経験においてより具体的に語られて参りました。これこそミステリーです。

新約聖書には「奥義」は29回使われています。福音書には3回、黙示録には5回、そしてパウロの手紙の中に21回使われています。「キリスト内住の奥義」によって、パウロは、いかなる迫害にも、逆境にも動揺することなく「人知では、到底測り知ることのできない魂の平安」を保ち続けることができたのです。

 

イエス様はベツレヘムの飼い葉桶の中に生まれ、様々な奇跡を行いながら福音を語り、ゴルゴダの丘の上で十字架にかけられて死なれました。この十字架が「私のため」であったことに気づいたとき、イエスは「私の救い主キリスト」として、人生のすべての局面において働いてくださり、私たちの魂の中心に存在してくださるのです。この「神の奥義なるキリスト」とともに歩みましょう。

 

パウロは、この経験を次のように語っています。

「私たちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私たちから出たものでないことが現れるためである。」(第二コリント4:7)

キリストが内住する時、人格において、人々への感化において、逆境における力において、大きな変化があります。

 

未だその経験が不確かであるならば、聖霊の御助けをいただき、御言葉を頼りにして祈り求めましょう。

日々の生活の中において、苦しみや不安の日々を迎える時、内に在すキリストはあなたを導き、日々満ち溢れる喜びを与えてくださるでしょう。

小田 彰