2024.11.10

「上にあるものを求めて」(コロサイ3:1〜4、第一ヨハネ2:27〜3:3)

 

パウロの手紙の特徴は、まず正しい信仰の原則を語り、その次に実際生活においてどのようにあるべきかという実践的な面を語るところにあります。それはこのコロサイ人への手紙でも、ピリピ、エペソ、ローマ人への手紙でも同じです。

今日の3章1節からは、キリスト者の実践的な生活目標を語っています。

 

「このように、あなた方は、キリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右に座しておられるのである。あなた方は、上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。」(コロサイ3:1〜2)

 

新しく生まれ変わった人の生活目標です

①地上的、物質的、利己的、自己中心的な生き方ではなく「上にある(神の国の)価値観」で生きなさい。

②過去の古い考え方、習慣、律法主義に死に、よみがえった新しい生命で生きなさい。

③再臨信仰に立って、キリストと再びお会いできるような品性を求めて生きなさい。

 

「あなた方は、既に死んだものであって、あなた方の命は、キリストと共に、神のうちに隠されているのである。私たちの命なるキリストが現れるときには、あなた方も、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。」(コロサイ3:2〜3)

 

信仰を持って生きるとは、人間をはるかに超えた高いところにおられる絶対者を意識して生きることだ

(高次の実在)。 そう語ったのは、哲学者波多野精一である。京都学派と言われる波多野はキリスト教的立場で語り、西田幾多郎は仏教の立場で語った。

しかし、いずれも今日の御言葉に触発されているのではないかと思われます。「上にあるものを思う人生」は、私たちの生き方のキーワードです。

一般的に、人間は地上の価値観と、競争社会での優劣で、ものを決めるものです。学問や政治や、宗教の世界でさえも、この世の基準でものを考える習性があります。そこに罪があります。

そういう生き方に徹底的に死に切る事は、強烈な神との対決を経なければなりません。聖霊の働きと言うのでしょうか。パウロは、キリスト者を捕えるために、ダマスコへ向かう途中、光を受けて落馬し、キリストの御声に触れ、己の無知に目覚め、人生が逆転しました。その時から、地上の価値観ではなく、神の国の価値観で生きる人となりました。

 

昇天されたキリストが「私は再び来る」(再臨)と約束された御言葉を、絶対的な希望として、信じ書き残しました。これから世界は終末を迎え、再びキリストが再臨されると、私たちは聖書の御言葉に従って信じています。「きたるべきキリストに再会する時」を待ち望む事は、もう一つの私たちの人生目標です。

 

「愛する者たちよ。私たちは今や神の子である。しかし、私たちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、私たちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの似姿を見るからである」(第一ヨハネ3:2)

 

米国次期大統領がトランプ氏に決まりました。彼が、地上の政策において「上にあるものを求めて」くださるように祈ります。

1968年4月5日に兇弾に倒れたマルティン・ルーサー・キング牧師は、亡くなる前夜の説教において、「我々の前途は多難であるが、それは今、私には本当に問題ではない。……私は何者も恐れない。私の目は既に主の来臨の輝きを見たからである」と語りました。今日のように黒人の大統領が立つなどという事はまだ考えられなかった時代ですが、彼は神の世界を見、きたるべき希望を見ていました。

 

日々の現実生活の中にあって、私たちの実践的目標が、上にあるものを求め、キリストの再臨を待ち望むものでありたいと思います。

神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰