2024.12.1

「キリストの花嫁」(コロサイ3:18〜25、マタイ25:1〜13)

 

アドベント第一主日を迎えました。クリスマス礼拝までの4週間、毎週、今年のイエス・キリストへの理解を深めていく備えの時期ですね。アドベントはベールを剥ぐとか、あるいは未知の世界に目が開かれるとかという意味があります。冒険のことをアドベンチャーと言いますね。2024年イエス・キリストを新しく知り、全く新しい心でご降誕を祝いたいと思います。

さて、パウロは、新しい人の姿について、人と人との関係の問題から語っています。特に教会は信仰を同じくしているにもかかわらず、人と人との関係が必ずしも理想的な愛に満たされたものでは無いのではないでしょうか。

①[夫と妻]

「妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが主にあるものにふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。辛く当たってはいけない。」(コロサイ3:18、19)

②[父と子]

「子たる者よ。何事についても、両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである。父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかもしれないから。」(コロサイ3:20.21)

③[主人と僕(奴隷)]

「僕たるものよ、何事についても、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心を込めて、主を恐れつつ従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」(コロサイ3:22〜23)

 

ここで取り上げている「妻」「子供」「僕」は当時、いずれも人権が認められず、自由に自己主張ができない立場にありました。近代であれば、アメリカにおける白人と黒人の関係でもありましょう。現在の教会においては、牧師と信徒の関係、教師と生徒の関係にも援用されるテーマです。

 

ここで最も重大な事は「人に対してではなく、主に対して仕えるように仕えなさい」ということですね。

この信仰者の動機は、聖霊によって導かれなければできないことです。イエス・キリストは愚かな弟子たちや、無知な権力者に対しても、ひたすらへりくだって対処することによって、愛を示されました。

私たちは再びイエス様が来られる時、花嫁として嫁ぐ立場にあります。どこまでも愛に裏打ちされた花嫁として整えられたいと願います。

 

最近、シスター渡辺和子先生の言葉でひらめきをいただいていますが、また一つご紹介しましょう。

「人は一生の間に、どれだけの愛を集めたかによってではなく、どれほど、どのような愛を与えたかによって裁かれるのであろう。愛するという事は、大切にするということである。丁寧に生きるということと深く関わっている。」

 

対人関係において相手を大切にすること、また丁寧に対処していくという事は、どれほど忍耐と痛みとあるいは信仰を必要とするのではないかと思います。

 

2000年前、パウロによって語られた言葉は、今私たちに対し、また全世界に対して語られているのではないでしょうか。一口に愛するということでは、表現のできない長い時間と優しい人格を求められるのではないでしょうか。

 

さて、アドベントの季節に、受胎したマリヤの戸惑いを思い起こします。婚約しただけでマリヤがみごもってしまったことに対して、大きな動揺を抑えて、ひたすら彼女をかばったヨセフの思いを想像させられます。人類の救い主が誕生する時、この若い二人がどこまでも忍耐強く、その出来事を大切に受け止め、丁寧に対処したかということを思わされます。

 

人と人との間に立たれるイエス・キリストを思いつつ、私どもの日々の生活の中に信仰の証の灯を灯し続けたいと願います。

 

神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

小田 彰