2024.12.8

「目を覚まして」(コロサイ4:1〜6、ルカ1:24〜38)

 

クリスマスの出来事が意味すること、言葉を変えて言えば「クリスマスの真実」とは、「信仰と服従」です。受胎告知を信仰を持って受け入れしたがったマリヤ、常識では受け入れがたい事実を受け入れてベツレヘムへの旅を続けたヨセフ、星を見て、世界の救い主がユダヤから生まれたに違いないと確信し、一切を投げうって遠い旅に出た東方の博士たち。彼らの共通点は、常識では考えられないにもかかわらず、神の御声を信じ、それに服従したのです。

 

この真理を語っている短いフレーズがあります。

God said, I did, and all settled!

「神は言われた、私はそれに従った、そして万事が解決した。」

クリスマス物語の中には、この原理が随所に実現していることです。

 

コロサイ人への手紙4章に入り、殉教を待つ老伝道者パウロの若き人々への5つの勧告が語られています。

①目を覚まして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。

②神が御言のために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように。

③また、私が語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。

④今の時を生かして用い、外の人に対して賢く行動しなさい。

⑤いつも塩で味付けられた、優しい言葉を使いなさい。

(以上、コロサイ4:2〜6)

 

この中で注目すべき事は①と③ですね。

A)「目を覚まして」はよく注意してという意味です。コロサイ教会は、人々は集まり、新しいキリスト教会の姿ができつつありました。

しかし、熱心と思われる人の中にも、当時ローマで拡大していた神秘的な宗教行事を教会に持ち込む人がありました。また、ユダヤ教の律法主義を福音と混ぜて語る人がありました。

現代においても、キリスト教会ではありますが、聖書が語られず、イエス・キリストの姿が見えない集団もたくさんあります。新興宗教が教会の中に持ち込まれているとまでは言いませんが、間違った指導者が教会を運営している場合があります。

このクリスマスシーズンに、世の中の商売の道具として組み込まれてしまったクリスマスイベント。イエス・キリストの姿の見えないクリスマスであったならば、私たちは「よく注意して」どのように過ごすべきかを考えなければなりませんね。

 

B)「私が語るべきことをはっきりと語れるように祈ってほしい。」とパウロが言った時、命を落とすかもしれない裁判の真っ只中にあって、保身に走ることなく、イエス・キリストが唯一の救い主であることと、すべての人がイエス・キリストの十字架の救いを受けなければならないという真理を、恐れることなく語れるように祈ってほしいという意味だと思います。これがパウロの願った「キリストへの服従」であったのです。

 

クリスマスの出来事の主役たちは、皆、神の御声を聞き、それを思いめぐらし、命をかけてしたがっていきました。それ故、全世界に救い主が到来すると言うクリスマスが実現したのです。

今、パウロを通して「語るべき真理を語る」という決断のゆえに、今日の教会が存在しているのです。

 

マリヤは天使より受胎告知を受けた時、「私は主の婢女(はしため)です。お言葉通りこの身にになりますように。」(ルカ1:38)と答えました。はしためとは奴隷の意味です。そんな事はありえないと議論したかったでしょう。しかし100%服従するのみという結論に従ったのです。

 

私たちもそれぞれの立場において、キリスト者として語るべきことを語り、断るべきことを断り、離れるべきところからは離れ、従うべき道には従うことができますように。重い責任が課せられていることを確認いたしましょう。そこに未来に続く祝福があります。そこに神様からいただく喜びがあります。

今週も神様の祝福が豊かにありますようにお祈りしております。

小田 彰