2024.2.18

テーマ「尊い器」

聖書 第二テモテ2章14〜21、第一コリント1512〜20節

     

テモテへの第二の手紙の目的は、健全な信仰と素直な性格を持った若い牧師テモテを励まし、大きな迫害の波が襲ってくる時代に耐えるように、強靭な心を植え付けようとするパウロの祈りです。

そこで重要な事は「復活信仰を守れ」ということでした。当時人数も増え、集会数も増えていたエペソ教会の指導者達の中に、「復活は、バプテスマを受けたときに、過去に死に、新しく生まれ変わるという意味において理解すべきだ。死後の肉体の復活ではない」と主張するものがいたのです。ヒメナオやピレト達はパウロから異端者として排斥されています(2:17)。

これはコリント教会においても広がっていた傾向でした。いわゆるグノーシス派(主知主義)に影響されたクリスチャンたちは、神秘主義者であり、礼拝の場で特別な霊的な経験を語り合うような傾向がありました。そして、キリストの復活を現実のものととらえず、キリスト者の復活の希望を単なる幻想と非難しました。パウロは、このような傾向に対して「俗悪な無駄話を避けなさい」「何の益もなく、人々を破滅に陥れるだけである言葉の争いをしないように」(2:14、16)と語ったのです。しばしば神秘的な会話をする信者は、何か霊的に高い水準であるかのように誤解を与える傾向にあります。

しかし、復活を信じない傾向は、福音書にも見られます。復活されたイエスに会わなかったトマスは「その脇腹の傷跡に手を差し込んでみなければ信じない」と言いました。そしてイエスと出会った時「信じないものにならないで信じるものになりなさい」と言われたのですね(ヨハネ20:25)

 

「あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない練達した働き人になって、神に自分を捧げるように努め励みなさい。」(2:15)

パウロは、

①真理は正しく理解し、正しく宣べ伝えなければならない。

②神に認められる人となりなさい。

③教会の中において、自分の立場を守るのではなく、真理のために身を捧げていくのです、

と強く勧めています。

 

ローマから始まったネロ皇帝の大迫害は、波状的に地中海全体に広がっていきました。当然エペソの教会にも襲ってくるものです。そのために投獄され、あるいは財産を奪われ、あるいは命までも奪われる人々があるでしょう。復活がもし幻想であるとするならば、私たちの教会も、そのメッセージも、私たちの人生そのもの全てが虚しいものとなってしまうのです。ですから、美辞麗句を並べて、霊的エクスタシーを語る一部の人たちに扇動されてはなりません。

 

「大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そしてあるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる」(2:20)

ここで言う大きな家とは教会のことです。金や銀の器とは、純粋な信仰を持った人々のことです。木や土の器とは偽物の信仰者です。ですから、尊いことに用いられる、すなわち人の魂を救うことができる清い器でなければなりません。

 

さて、このようなパウロのテモテに対する言葉は、今日、私たちの為にも語られています。信仰生活を単に幻想的な、また社交的な交わりにしてしまってはなりません。現実生活の不可能を可能にし、逆境を感謝と賛美に変え、病気や老いでさえも「復活と永遠の命」の希望に変えていく信仰でなければなりません。

 

あなたの日々が「復活と永遠の命」の力強いメッセージによって貫かれますように、そして日々感謝と賛美に満ち溢れますようにお祈りいたします。

小田 彰