「走るべき行程を走り」
第二テモテ4:1〜8、ヨハネ17:1〜5
私が今年テモテ第二の手紙を取り上げた理由は、伝道者パウロの殉教前における最後の言葉だからです。ある意味で遺言書ということもできるでしょう。
彼は、自分の地上の命がまもなく取り去られるだろうという「時の迫り」を感じていました。それ故、二度と言い直すことのない厳粛なメッセージを残したのです。それがこの第4章です。
「神の御前と、生きているものと死んだものとを裁くべきキリスト・イエスの御前で、キリストの出現とその御国とを思い、厳かに命じる。」(4:1)
①テモテ第二の手紙を書いているパウロは、すべての時を支配しておられる神の御前に生かされていることを意識していました。
②生きているものも、死者をも裁くイエス・キリストの御前に立たされていることを知っていました。
③そして、どんな迫害の中にあっても、まもなく、イエス・キリストが再臨して、世界をさばいてくださり、神の国の住人として彼を導いていてくださることを意識していました。そこで、「厳かに命じる」という言葉が、彼の気持ちをよく表しているのです。
[遺言①]
「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(4:2)
[遺言②]
「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務めを全うしなさい。」(4:5)
教会内の揉め事に時間を労せず、疲れ果てるまで議論をしないで、淡々と御言葉の宣教に専心すべしと命令しました。
[遺言③]
「私は戦いを立派に戦い抜き、走るべき行程を走り尽くし、信仰を守り通した。今や義の冠が私を待っているばかりである。」(4:7、8)
私の後に続け、最後のゴールのテープを切るまで従ってきなさい❗️オリンピックの優勝者は1人ですが、主の再臨を待ち望む、すべての人には、等しく義の冠が与えられるでしょう。
さて、「走るべき行程」とは何でしょうか?パウロはローマ時代に行われていたオリンピック競技を知っていました。その中でも長距離マラソンはその競技の中の華でした。それは走り抜かねばならない「コース」のことですね。
マラソン競技には
①コースがあり
②ルールがあり、
③ゴールがあります。
それはあたかも私たちの人生のようですね。コースから外れてゴールに入ることができません。またルールに違反して勝利することもできません。早いか遅いかではなく、とにかく与えられたコースを走り抜くことが最も重要ですね。
しばしば、自分が経験している試練や、好ましくない出来事に際して、「こんなコースを走るはずではなかった」と思うこともあるでしょう。しかし、それがあなたに与えられていたコースなのかもしれませんね。それを走り抜くときに、義の冠が私たちのために待っているのです。
皆さんが等しく牧師や伝道者であるわけではありませんね。しかし、すべてのクリスチャンは御言葉を宣べ伝える伝道者であります。今日の御言葉は、私たちの生き方を示していますね。 聖霊があなたの生き方、生きる目的、歩むべき道を示してくださいますようにお祈りいたします。
小田 彰