2024.6.23

「星のように輝く」(ピリピ2:12〜18、ダニエル12:2〜3)

 

「あなた方のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)

 

先週この御言葉から摂理信仰についてお話ししました。「摂理(Providence)」とは、やがて起こることを神があらかじめ見通しておられ、さらに決定しておられるということです。それは神がただ見抜き、知り抜いておられるというだけではなく、慈しみのある深い配慮を持って、全てに備えておられるということです。

パウロ的に言えば、すべてのわざは神様のご意志で始まり、聖霊によって自らのビジョンをいただき、福音宣教の戦いと苦難の中にイエス様と共に血を流し、今ローマの牢獄にいます。しかし、福音宣教のわざは自分のわざではなく、神が必ず成し遂げてくださるわざであると確信しています。ですから、自分には不平も不満もありません。また将来の神のご計画について疑いもありません。

このような思いの中で「すべてのことをつぶやかず、疑わないでしなさい。」(ピリピ2:14)と語ったのです。協会共同訳聖書では「不平や理屈を言わず」と書いています。しっかりと摂理信仰に立たなければ、私たちの口はつぶやきと不平と不満と議論に流されてしまうものです。そんなレベルのクリスチャンであるなら、この闇の時代に光を投じることはできません。イエス・キリストの弟子とは言えないのです。

 

「それは、あなた方が責められるところのない純真なものとなり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなた方は、命の言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

 

2000年前のローマ時代も現代も変わりなく、私たちは邪悪な時代に輝く星となるべき信仰者です。ですから、言葉が清められ、動機が清められ、思いが清められなければなりませんね。

ダニエルは、終末の預言の言葉の中で、福音を伝える者たちが星となって輝くことを預言しています。

「賢いものは、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導くものは、星のようになって永遠に至るでしょう。」(ダニエル12:30)

 

今週も神の摂理の御手の中で歩まれますようにお祈りいたします。

小田 彰